ドラえもん ねじ巻き都市冒険記リメイクの可能性は?当時の事情を考えるとそのまま作れない。実は歴代2位だったり。

ドラえもん映画は定期的に旧作をリメイクしています。「ねじ巻き都市(シティ)冒険記」はリメイクされるのでしょうか。結論から言うとかなり厳しく、リメイクされない作品と思われます。遺作に込められた意志を考えると「この作品はリメイクしない方が礼儀である」とも解釈できる要素があります。ポジティブな要素もありますが、それぞれの理由について考察していきます。

リメイクに厳しい要素

まずはこの作品がリメイクに厳しいであろう要素を挙げていきます。

客観的な評価は低い。

yahoo映画のF原作の映画ドラえもん17作の一般評価ではねじ巻き都市冒険記は最下位の3.4で、好きな人もいるのですが残念ながら低評価の方が多いです。

yahoo映画 映画ドラえもんレビュー評価平均値

制作過程のドタバタもあり、不完全さは関係者も認める。

今作は連載途中で藤子・F・不二雄先生が亡くなってしまい、話の半分以上はネームすら無い状態でアシスタントや監督が仕上げた作品です。
しかもその空白は「スタッフ独自のアイデアで創作し完成させる」ではなく「F先生の意図を汲み取って完成させる」の方針で作られたとの証言があり、F先生が打合せ中に語った大まかなあらすじと結末、それと断片的なアイデアノートを頼りに組み合わせて作ったとされています。しかし空白を埋めるにはあまりにも不十分な情報量でした。
大変苦労したとは思うのですが、結果として出来上がった作品は完成度が高いとは言えないです。それらは関係者自身の声にも現れていて、監督の芝山努は「F先生が残した断片をジグソーパズルのように組み合わせて作ったんですけど、とにかく複雑な作品になっちゃった。もしかするとF先生の考えを理解しきらないままだったのかもしれませんね」チーフアシスタントのむぎわらしんたろうは「現在においても「こんな話だったのでしょうか」と尋ねたい気持ちがある」と言っています。

このように制作側も正解と思ってない物語をベタにリメイクする事は無いでしょうから、単純なリメイクに踏み出す事は難しいでしょう。かといって「F先生の残したネタだけで今度こそ正しく再構築」というアプローチも、情報が増えるわけでないでしょうからやはり真意に迫るのは難しいです。

継承が裏テーマ。遺作の意志「あとは君たちに任せる」を考えると…

今作が他にない最大の特徴は「F先生の遺作であり、作品内容もリンクしている」という点です。これが意義深いのですが、一方でリメイクを留めさせる理由にもなっていると思います。

今作の作中テーマは「生命」ですが、メタ的なテーマは「継承」だと思います。
今作は制作過程に興味深いエピソードが多くあります。
F先生は今作の作成時期、本人がいなくても作品が作れるようにしたい意図を感じる言動が多かったそうです。アシスタント向けに細かい指示を書いた手紙を出し「藤子プロは藤子本人が書かなくなってからグッと質があがったと言われたらうれしい」のメッセージを送ったり、芝山監督は「亡くなる1周間前、いつもはあまり答えてくれないのに今作はある程度の内容を話してくれた」と言っていたり、こういう点から遺作を覚悟していたのではと考察がされる事が多いです。
それを踏まえて作中の描写を見ると、意味合いが変わってくる部分があります。

作中に「種をまく者」という創造主のような存在が登場します。彼がやった事は
 1.大昔の地球と火星に「生命」をまく。地球は成功。
 2.ねじ巻き都市で、ねじ巻き生命に落雷を落とし「知恵」を授ける。
 3.「きみなら、この星をまかせていける」「きみたちの力で解決するんだ」と後を託す。

です。上記を「創造主(種をまく者)=作者(F先生)」と見なした場合、
 1.成功と失敗を繰り返しながら、ドラえもん等のヒット作を生み出した。
 2.アシスタントやアニメスタッフだけでも持続的に作れるよう「知恵」を授ける。
 3.今後は君たちだけで困難を乗り越えて作り続けてほしいとの意志を託す。

と読み替える事もでき、芝山監督もインタビューで「種をまく者=F先生かも」旨の発言をしています。これが今作を最も意義深くしていると思いますし、ここを評価する人も多いです。
こう考えると、とるべき対応は「藤子本人が書かなくなってから、グッと質が上ったと言われたら嬉しい」というF先生の言葉に応えるように、この作品をリメイクしてるくらいなら完全新作で面白い作品を作る事の方が正しい姿にも思えます。

不完全な話の具体例(展開の謎、目的の不明確さ)

前述の「不完全」の具体的な説明となりますが、この物語は何が目的なのか、なぜこんな展開になるのか等の多くの矛盾や不明点があります。例を挙げますと下記のようなものがあります。

・前半の敵設定が迷走。
物語前半に植物の声、黄金の巨人、凶悪犯と敵勢力が複数出てきますが本当の悪役は凶悪犯のみ。なのに途中過程で黄金の巨人(悪ではない)を倒すために凶悪犯(悪)とドラえもん達が共闘する展開になるなど飲み込みにくい部分があります。(そもそもこの時点で凶悪犯は試練の対象に設定されているので、巨人が凶悪犯に襲いかかる理由も薄い)

・種まく者の試練の矛先がよくわからない。
神のような存在「種まく者」は、ねじ巻き都市の生命に興味を持ち知恵を与えるのだが、この星で今後やっていけるかを試すために凶悪犯打倒という試練を住人ではなくのび太達に与える。試練は住人に与えるべきでは?しかも「植物と共存していけるか?」の試練が「凶悪犯打倒」というのも不可解。

・植物が意志を持つ設定があまり活かされていない。
種まく者がこの星に最初に作った生命が「意志を持つ植物」。作中のび太達を助けれくれるのですが、なぜのび太達にやさしいのかは特に説明がない。本当に植物に優しいのはねじ巻き生命達ですがそっちに協力する描写は特になく、これといった善行をしていないのび太達(むしろジャイスネは環境破壊している)に協力的となっており「植物と共存していけるのか」のテーマとうまく噛み合ってない。

・話の着地点は、ねじ巻き都市をどうする事だったのか?
この星では「意志ある植物」「ねじ巻き生命」の2種の生命が登場しており、ねじ巻き生命は自立的にエコな文明を発展させていくのですが、「植物との共存」「ねじ巻き生命の自立」のようなテーマはこれと言って深掘りされず、テーマと無関係な理由で侵略してくる凶悪犯を追っ払うという展開になり、なんとなく「凶悪犯から街を救ってハッピーエンド」な感じで終わりますが、この星の将来の着地点が見えない感じです。

全体的に、見せ場が断片的に設定されている感じで一本の物語になっていないという印象です。大幅な改変が必要そうです。

地味すぎる悪役

今作の悪役は、前科百犯の凶悪な脱獄囚「熊虎鬼五郎」と道具の効果で生まれた12人のクローンです。
計13人とはいえ現実の犯罪者レベルの強さしかなく、目的も「ねじ巻き都市を隠れ蓑にする」「金塊を独り占め」といった小悪党レベルに留まっており非常にこじんまりした敵です。これを倒した所で大したカタルシスがありません。リメイク時には補強がいると思いますが、かといって今作に「征服を企む大魔王」みたいな設定もハマらなさそうです。ただの小悪党でもせめて雲の王国の密猟者のように「動物絶滅、環境破壊の象徴」のようなテーマとのリンクがあればいいのですが…。

リメイクにポジティブな要素

基本的にリメイクには厳しい本作ですが、ポジティブな要素もあります。

動員:390万人はまさかの歴代2位。しかも上り坂。

動員数は390万人。なんとF先生原作の映画17作中2位です。しかも上り坂です。一般にシリーズものは「前の作品が面白かったから次も見に行く」という傾向がありますが、次作の南海大冒険も400万人でさらに伸びており、そのように見ればこの作品が次回作に響くような悪印象を残していないという評価もできます。
この高い興行値が出た理由は正直検討もつきません。F先生が亡くなった時の作品で、今後ドラえもん映画が継続するのか不明の時期でしたので、最後の映画かもしれないという事で見に行った等の要素はあるかしれません。

まとめ。向き合うほど「リメイクより新作で応えるのが礼儀」に思える

総評すると「やむを得ぬ理由で完成度は低いが、F先生の遺作の意志がこもった意義深い一作」という感じです。そしてリメイクを志したとしても

 ・元の不完全さは関係者も認めているので、ベタリメイクはむしろ非誠実。
 ・F先生の残したアイデアノートから再構築を志しても、情報少なく真意には到達できない。
 ・F先生のネタに縛られない創作的リメイクは作れるだろうが、それなら完全新作の方が礼儀

という感じで向いていないのではと思います。
よって今作はリメイクせずに特別な一作として留めておくのが良いのではと思っています。

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