ドラえもんのよくある勘違いとして
「ひみつ道具の効果音は『テレレレッテレー』である」
というものがあります。大山ドラ時代からお笑い芸人がドラえもんをネタにする時によく見られ、一般人にもその誤解が浸透し今もなお市民権を得ている不思議な状態です。
実際の音は全く別物(ピシャピシャピシャピシャ等)なのですが、なぜ「テレレレッテレー」になってしまったのでしょうか。起源や理由について以前から調査していたのですが、ある程度まとまってきたので記事にしました。
起源を辿ると100年前にまで遡る可能性もあり、さらに芸人に使われ始めたターニングポイントも大まかに見えてきました。そこから「なぜ誤解が生まれたのか」も仮説を立ててみました。
まずは結論。下記のような流れ
まずは結論です。現状分かっている「テレレレッテレー」の生まれたタイミングと、なぜ誤用されたのかの仮説です。詳細説明を後述していきます。
「てれれってれー」はどんな音?
芸人の「てれれれってれー」とはどんなメロディか。実際の音を作りました。下記のようなものです。
「ソドミソッミソー」という感じです。(芸人によって揺らぎがありますが、概ねこんな感じです。)
皆さんも聞いた事あると思います。「たたたたったたー」「ちゃらららっちゃらー」など表現はまちまちですが、メロディは同じです。なぜか皆これをドラえもんの効果音としてマネするのです。
実際のひみつ道具はどんな音?
「テレレレッテレー」誤用は大山ドラ時代から見られたものなので、実際のひみつ道具の音は大山ドラ基準で説明していきます。
言葉にすると「ピコン!ピシャピシャピシャピシャ!」「シュパシュパシュパシュパ」という感じで人によって分かれる音です。形容しにくい音なので聞くのが早いでしょう。
分解すると「ピコン」が道具を出した瞬間のSE。ここしか鳴らない場合もあります。「ピシャピシャピシャピシャ」は道具名を読み上げる時の効果音です。普段の放送ではこの音までが一般イメージです。
サントラ等では後ろにドラえもんのうたの「こんなこといいな♪」部分をファンファーレ化した「ラッレレレッファ#ッシーファ#ラー」が追加されてそこまでがひみつ道具効果音として扱われています。しかし作中このフルバージョンがかかる事は極めて稀です。(ファンファーレだけ単体で使われる事はよくあるのですが)なんにせよ「テレレレッテレー」とは別物ですね。
「てれれれってれー」の起源から、誤用されるまでの流れ
元は軍隊の信号ラッパか?第一次世界大戦(~1918)には既に類似音が存在
「テレレレッテレー」が世界で初めて現れたのはいつか。可能性の一つが軍隊の号令音としての利用で、第一次世界大戦にドイツ軍が「No.20 2 battery」という号令音として以下のメロディを使っていたという記録があります。
調が異なり明るい感じですが、「テレレレッテレー」と言えるのではないでしょうか。第一次世界大戦は1914~1918なのでその頃にはすでに存在した事になります。
「battery」は砲兵隊の意味があり、砲撃の合図「攻撃!」というニュアンスだったのでしょうか。ドラえもんのイメージとはまだ結びつきませんね。
一般層への普及はスポーツ(野球)の応援音。1946年アメリカ。
一般層に普及し始めたと思われる例としては1946年アメリカで、南カリフォルニア大学生トミー・ウォーカーが作った「charge」という母校のアメフト応援の為に作曲した物があり、これは芸人の「テレレレッテレー」にそっくりのメロディです。
「charge」は突撃の意味なので、「battery」の軍隊音楽を参考にしたかもしれません。
この曲はスポーツ、特に野球の応援に使われるようになり1950年代にはメジャーリーグで定番の応援メロディとなっていたようです。現代でもメジャーリーグの試合中の電子オルガンを聞いた事ある人も多いのではないのでしょうか。
試合のチャンス時に応援で使い「それ行け!」というニュアンスに変化しています。
「くまのプーさん(1966)」でもパブリックな使い方されている。
当時でも「一般的な定番音」という感じで使われていた例を見つけました。
1966年の映画「プーさんとはちみつ」の13分目、蜂のリーダーがこの音をラッパ(ビューグル)で鳴らすと蜂の大群がプーさんに突撃するシーンで使われます。軍隊の突撃イメージで使っており、このようなパロディ的な使い方が通じる程度にこのメロディが浸透していた事を伺わせます。
1966年には日本上陸していた。まだ「それ行け」のイメージ。
海外で産声を挙げた「テレレレッテレー」ですが、日本にはいつ頃上陸していたのでしょうか。
日本の利用例では、1966年に慶應義塾大学が野球の応援用に作曲した「ダッシュKEIO」のイントロ部分が「charge」と同じ「テレレレッテレー」になっています。↓(冒頭10秒)
音階は移調してますが「charge」と同じく野球応援という共通点や転調して盛り上がる構成など類似点は多く、意図的か無意識かはわかりませんが「charge」を日本に受け継いだものに思えます。
そしてこの曲は甲子園やプロ野球の定番の応援曲として現在でも使われています。TV放送で毎年毎試合これが鳴り続けていれば「誰もが知っているメロディ」として根付くのには十分な機会だったと思われます。
ただ、chargeもダッシュKEIOもスポーツ曲で、チャンスを応援する「それ行け」というニュアンスです。ドラえもんの道具のイメージ「登場」「注目」とは少々異なります。
いつしかバラエティの定番に。「注目!」ニュアンスに変化(1990)
昔の例では突撃、応援のイメージでの利用しか見つけられませんでしたが、いつしかバラエティ番組で頻繁に使われるようになります。(今でもTVやHIKAKIN等の有名youtuberが使ったりと定番の音です。)
出自が明確な例だと、1990年4月25日稼働のゲーム「パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜」のルーレットカプセル取得音がchargeと同じ「テレレレッテレー」です(電子音風)。これはアイテム取得音、ルーレット開始音なので「ゲット」「何が出るかな?」みたいなニュアンスで使われています。
そしてこのサントラ(1990年7月発売)、テレレレッテレーに限らず様々な効果音がバラエティ番組の定番音源として驚くほど多く使われており、現在でも使われています。(お色気シーンの「わ~お!」等もここが元ネタ)パロディウス版「テレレレッテレー」の古いテレビ使用例として1991年4月3日「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」という番組で、スロットマシンで特定の目を出すと「テレレレッテレー」が鳴るという演出が導入されました。これは毎週使われる音で、視聴率約20%の人気番組だったので耳にする人も多かったと思います。これ以外の番組でも頻繁にこの音は使われていました。(平成教育委員会など)
「決定!」「注目!」みたいなニュアンスで使われており、ドラえもん効果音にイメージが重なってきました。
このように少なくとも1990~1991年にはバラエティで「注目」イメージの定番音として耳にする状態になっていた事がわかりました。ドラえもんの音の代用として選ばれる素地はできていたという事になります。
ドラえもんネタに誤用される最古の例はいつか?芸人以外でも古い例が見つかっている。
芸人ネタとしての(現状判明している)最古の例は1992年
ドラえもんのお笑いネタとして「テレレレッテレー」が初めて使われたのはいつなのででしょうか。
現状知る限りでの最古の例は、1992年10月21日 ホリプロお笑いライブでフォークダンスDE成子坂が披露したコントです。
少年役(村田渚)がドラえもんを名乗る男(桶田敬太郎)に道具をお願いすると、効果音を口ずさみながら道具でボケるというドラえもんコントの定番の使い方をしています。
少年「僕がいじめっこやっつけるから、それなんとかならない?」
引用元:1992年10月21日ホリプロお笑いライブ フォークダンスDE成子坂 コントより
ドラ「あぁ、なるよ。」
少年「あーやったー!いっぺんやっつけてみたかったんや。(中略)なんか道具…」
ドラ「道具?あるよ。
チャチャチャチャッチャチャー♪
ナイフ!」
言葉は「チャチャチャ」ですが、メロディはchargeと同じものです。かなり古い利用例と言えます。
しかし後年に語った本人による制作秘話によると、「ドラえもんといえばテレレレッテレーって道具出すじゃないですか」という旨の発言をしており、本人的にはこの音を正しい音だと信じていたようです。という事この頃には既に芸人の間でテレレレッテレーはドラえもんの音として普及していた可能性があります。(完全に勘違いしていただけという可能性もありますが)
(そうやじゅういち(卅八十一)様、制作秘話の情報提供ありがとうございました。)
その他 芸人ネタの古い事例
・お笑い芸人の土田晃之(元U-turn)がフォークダンスDE成子坂のネタに触れたインタビューを残しており、U-turnも同時期にドラえもんネタをやったと発言しています。(「テレレレッテレー」を言ったかは不明。)この時期のドラえもんコント自体は珍しくないという事を示す情報です。
・バカルディ(現:さまぁ~ず)がTV番組「殿様のフェロモン」でコント「ドラえもん」を披露「テレレレッテレー」が登場しています。この場合ひみつ道具を出す音ではなく、ドラえもんが登場する音そのものとして使っていました。
三村「バス来ないよ遅いな~、もうどうしようかなあ、こんな時にはほら未来のあの、ドラえもん、ドラえもんとかいてくれたら…」
引用元:時期不明:テレビ番組の「バカルディオンステージ」より。
大竹「てけててっててー!」
三村「あー!」
大竹「てけててってて!てけててっててっててってて~がんばれー!」
(野球応援曲のコンバットマーチにメロディが変化)
三村「応援団だったんだ…」
バカルディの「テレレレッテレー」の使い方は、この音がドラえもん登場を意味するという共通認識がないと成立しないネタなので、すでにこの誤用が一般客にも浸透した状態であったという事を伺わせる貴重な記録です。
このコントの放送日までは特定できませんでしたが、番組「殿様のフェロモン」は1993年10月16日~1994年3月26日です。また同ネタを「ラジごめ ホンジャマカ共和国」(1993年7月3日~1995年3月26日)でもやった事があるとの事です。仮に初回でやったとしたら1993年7月披露の可能性がありますが、どちらにせよフォークダンスよりは遅いようです。
(さまぁ~ずファンサイト管理人様、情報提供ありがとうございました。)
1989年には準公式漫画での使用例がある。
芸人の使用例では無いですが、幼年誌「小学館の幼稚園」1989年12月号「ドラえもんのクリスマスクイズ」(構成:松田辰彦)の漫画内で「パラララッタラ~」という擬音でドラえもんが道具を出すというシーンが登場しました。小学館ですので許可を得た準公式のドラえもん作品です。メロディを表現できない漫画作品が0から効果音を考えたとは考えにくく、また幼年誌を起源として他の芸人がマネし始めたとも考えにくいので、これより前に既に芸人等による誤用、もしくは物を出す定番音として普及していてそれをそのまま当てはめた。という可能性があります。
(みくろ(三畔)様、情報提供ありがとうございました。)
テレレレッテレーがドラえもんネタに使われるまでの流れまとめ
ここまで説明したテレレレッテレーの音がドラえもんに使われるまでの流れをまとめます。
■~1918 「テレレレッテレー」が軍隊で発明される?
第一次世界大戦にドイツ軍「No.20 2 battery」砲兵の合図として使用。「攻撃」の意味合い。
■1946年 スポーツを通じてアメリカ一般層に浸透。
「charge」が野球を中心としたスポーツ応援に使われる。「それ行け」の意味合いに。
■1966年周辺~ 日本でもメロディが浸透
野球応援曲「ダッシュKEIO」作成。冒頭メロディがchargeと同じ。甲子園、プロ野球で定番音楽となり毎年毎試合鳴り続け、誰もが耳にする状態となる。
■1979年 テレ朝ドラえもん放送始まる
■(遅くとも1990年)バラエティでの多用。「注目」にニュアンスが変化
バラエティ番組の便利な効果音として使われるようになる。1990年パロディウスの効果音は定番音源として使われ普及に大きな影響あり。気を引く「注目!」ニュアンスで使われる事が多くなり、ドラえもん道具のイメージと重なってくる。
■(少なくとも1992年)ドラえもんお笑いで「てれれれってれー」が使われる。
なぜこの音がドラえもんに選ばれたのか。「こんなこといいな」似てる説。
ここまでは「テレレレッテレー」の起源やドラえもん合流までについて調べてきました。ある程度の絞り込みができたかと思います。
しかし、数あるバラエティ音の中でなぜこれがドラえもんの道具音に選ばれ普及したのかについては謎が残ります。例えば「じゃじゃーん」「パンパカパーン」でも問題は無いわけです。
これの仮説として「こんなこといいなファンファーレ(仮)」と音が似ているからではないかと考えてみました。
大山ドラのひみつ道具の音は通常「ピコン!ピシャピシャピシャピシャ」ですが、その後ろにドラえもんのうたの「こんなこといいな」歌詞部分をファンファーレ化した「ラッレレレッファ#ッシーファ#ラー」というメロディが付随する事があります。
サントラ等に収録されている物は「ピコン!ピシャピシャピシャピシャ」から「こんなこといいなファンファーレ」までが1セットでひみつ道具効果音として扱われています。またこのファンファーレ単体でドラえもん登場音として使われる事もあり、耳にする機会の多い音です。元が「ドラえもんのうた」なのでメロディそのものは馴染みがあるはずです。
このメロディは8音ですが、同じ音階が連続する所をまとめて6音にするとどことなく「テレレレッテレー」と似た音の流れになるため、数あるバラエティ効果音の内、記憶でなんとなくドラえもんっぽい音を口ずさんだら「テレレレッテレー」に行き着いた。という可能性はあります。
タイトルBGMと混同している説もあるかも。
大山ドラの冒頭タイトルコールは「テテテン!ぽわ~んぽわ~んぽわ~ん」です。テテテンの後にタイトルを読み上げるのですが、タイトルはたいてい道具の名前ですので、「ドラえもんが道具名を言う前のメロディ」というイメージがあります。すごく似ているというメロディでは無いのですが、「道具名を言う前にテテテテ言ってたなー」くらいのうっすらとした記憶が、観客に間違った音を受け入れさせる要素として働いた可能性はあります。
なぜ本物の音が普及しなかったのか。「お笑いに向いていない」説。
逆の視点からも考えてみましょう。当時から「ドラえもんの本当の音は『ピシャピシャ』である」と正しく理解していた芸人はいたと思います。しかし多くの芸人は本来の音ではやりませんでした。芸人側の立場で考えると、本当の音を使わなかった理由は「お笑いに使いにくい音だった」という理由があったのではと思います。
芸人のドラえもんネタは出す道具自体がボケになっている事が多く、そうなると手前の効果音部分はネタの邪魔をしないような薄さが望ましいです。また何度も道具を出し連続でボケるというスタイルもよく見られるので、何度も繰り返す部分が長ったらしいのものだとテンポにも影響を与えます。そう考えた場合、なんとなくイメージ通りだしボケの邪魔もしないでテンポも良い「テレレレッテレー」で代用するという芸人側に便利という事情がはたらいたのかもしれません。
なぜ誤用が発生したのか仮説まとめ
という事で説明してきた事をまとめるとこんな感じだったのでないかと思います。
ある芸人がドラえもんの道具出すネタを考えたが、なんとなくの記憶で効果音を当てはめる。もしくは「ピシャピシャ音」は言いにくいため意図的に別の適当な効果音を考える。その際にバラエティで注目の意味で普及していたメロディ「テレレレッテレー」を採用した。それが「こんなこといいなファンファーレ」と少し似ていたため、観客側にも「それっぽい」という感じで特に疑われずに受け入れられ、またお笑いのテンポ感にも向いていたのでそのまま一般化した。という仮説です。
残る謎。調査不十分な要素。
という事で、テレレレッテレーが誤用されるまでの流れと仮説をまとめてきました。しかし集まっている情報はまだ完璧ではなく、新情報が見つかれば仮説を更新していく必要があります。
最初のドラえもん漫才はいつ頃作られたのか。絞り込むと80年代後半~か?
現状見つかっている「テレレレッテレー」ドラえもんネタ利用例は1992年10月21日が最古ですが、さらに古いものもあるのではと思っています。今後の調査範囲を絞り込むためにも様々な要素から時期を絞り込んでみたいと思います。
理論上の範囲は1973年~。実際は1979以降では。
最大範囲で考えると、ドラえもんアニメは日テレ版(1973年4月1日~)から存在しますので1973年以降にまで範囲を広げる事もできます。しかし人気が無かったとされる日テレ版を元に漫才を作る人がいたとは考えにくいので、大山ドラの放送開始1979年4月8日以降に作られたと考えるべきと思います。
ドラえもんの道具演出が定番化する頃までラグあり。(1981~)
初期大山ドラでは道具を出す時、「ピシャピシャ」音は鳴らず、単に「ピコン」というSEのみ、もしくは汎用BGMの何かが鳴るというものでした。「ピシャピシャ」が鳴るようになるのは「ドロン葉(1980/1/27)」あたりからで、「道具を出す時に専用BGMが鳴る」というイメージが出来上がっていくのはその辺りからです。
また初期ドラえもんは道具を出す時にさらっと道具名を読み上げて、今では定番の間延びした道具紹介をしません。(「どこでもドア。」という感じの淡白な台詞で、「どこでもドア~!」みたいな語尾を伸ばす感じが無い。)そのような間延び説明が定着してきたのは1980年~1981年あたりからで、ドラえもん漫才として真似しやすい基礎が出来た時期と考えると、1981年以降になると考えられます。
芸人側の立場で考えると、場が醸成するまでに数年のラグが。(1985~?)
お笑い芸人側の立場で考えると、ドラえもんのお約束を観客が知っている事が前提になるので観客層が周知世代になる頃にやっと作れるという仮説もできます。
放送初期だと、人気とはいえ当時のドラえもん視聴者はほとんど小学生以下なのでドラえもんネタで笑える客層は相当に狭いです。またドラえもん漫才はF先生的な子供向けギャグではなく、ドラえもんをリアルにしたり茶化す事で笑いにするような年齢層高めな内容が多いです。芸人側もその時点で成人(ドラえもんを見ずに育った世代)の場合、始まったばかりの子供向けアニメからネタ拾って作るのも難易度高そうです。
そう考えると客層がドラえもんを当然知っているという状況で初めてネタ披露の土壌ができるのは、ドラえもんを見るのが小学生まで(~12歳)、お笑いの主要客層が18歳くらいからと考えると最低でも6年くらい必要そうです。そう考えると1985年くらいから状況がやっと整うというイメージです。
現状最古の例1992年をその観点で考えると、ホリプロお笑いライブは若手芸人による小劇場開催ですので観客層も若者(10代後半~20代)が中心だったと思われます。誰もが小学生まではドラえもんを見ていたと仮定すると24歳まではドラえもんを見た事ある世代(笑いの対象)となるため劇場内の大半の客は笑える状況であったとは思いますが、まだ狭いなという印象はあります。意外とドラえもん漫才が可能な状況というのは1990年前後になってくるのかもしれず、1992年は超初期の事例という可能性も出てきます。
パロディウスがバラエティ利用の起原なのか?は不明。
「パロディウスだ!」音源がバラエティ番組でのテレレレッテレー普及に大きく貢献した事は間違いないないです。しかしこれがバラエティ利用の始祖なのかは断定できません。「パロディウスだ!」自体が様々なパロディを入れたゲームで、BGMもクラシック音楽をアレンジしたものだったりとさらなる元ネタがある事が多く、「テレレレッテレー」もchargeやダッシュKEIOの引用というより既にバラエティで普及していたメロディをパロディ的に効果音化しただけかもしれず、バラエティ番組等はそれより前から別音源の「テレレレッテレー」が使われていたという可能性もあります。
私の調査ではダッシュKEIOの1966年からパロディウス1990年までの間に24年もの空白がある状態です。この間に「まだ見つかってないバラエティ利用の始祖」音源があってもおかしくない…とは思っているのですが、見つけられずにいます。
メロディが100年受け継がれたものなのかは不明。再発明もあるかも。
今回作った仮説では軍隊の号令音から連綿と繋がってドラえもんに至るという形で仮説を組み立てていますが、本当にそうだったかはわかりません。各年代にその音があったという調査は事実ですが、それが何の影響を受けて作られたものなのかは完全に憶測です。なにせたった6音ですし偶然似た音が生まれ常に何度も再発明されてきたのかもしれません。
まとめ。まだ謎は多い。皆様からの情報提供をお待ちしています!
現状判明している限りの情報から仮説を立てましたが、調査はまだ深掘りできると思ってます。私はドラえもんには詳しいですがお笑い芸人やバラエティ番組に詳しいわけではないのでまだまだ調べきれてない事が多いです。ぜひお笑い芸人や昔のバラエティ番組に詳しい方などからの情報を貰えればと思います。調査が進み次第どんどん更新していきたいと思います。
またこの記事を書く上で色々と周辺の興味深い調査が出てきました。仮説構築に関係無い部分は「こぼれ話」として別記事に書いています。よければそちらもご覧ください。
コメント
細かい指摘なんですが、バカルディ(さまぁ~ず)のネタの書き起こしの部分の三村と大竹が逆です。
ボケのメガネが大竹でツッコミが三村です。
指摘ありがとうございます。間違えていましたね、早速修正させていただきました。
「テレレレッテレー」という謎誤用には正直かなりモヤモヤしていたのでスッキリするナイス記事でした。
これ日常会話で話題にしてもめんどくさがられるだけのやつですから。
「こんなこといいな」のアレンジ系では「ソッソソドッミッソッソソドッミッレー」というファンファーレも定番でしたね。
他にも「テッテレッテレッテレー テッテレッテレッテレー(ソッドドッミラッミソー ソッドドッミラッミソー)」という単音のファンファーレもあって、これは「テレレレッテレー(ソドミソッミソー)」に若干近いので誤解の原因の一つかもしれません。