大山のぶ代さんは誰もが知る先代のドラえもん声優。作品に真摯に向き合い自分なりのドラえもん像をアニメに織り込んだと各種で語られています。その中の一つに「台本のドラえもんの一人称が当初「俺」だったが「ぼく」に修正した」という発言があるのですが、それが本当なのか調べた記事です。
結論
まず結論は「当時の原作にもアニメにも「俺」例は無い。台本も各種状況証拠から推測すると台本が「俺」だった可能性は低い。大山さんはデタラメ言っているのではなく「言葉使いを丁寧にした」という大意(図の赤文字)を伝える過程で勘違いしたと思われる。台本実物を見てない以上真実は不明。」です。
また初期台本とは無関係の箇所なら「オレ」ドラえもんは存在します。詳細を説明します。
前置き
大山さんはドラえもんに真摯に向き合い独自のアドリブをした趣旨は事実と考えていますし、国民的作品の一翼を担った功績は疑いようもありません。本記事は「台本が本当に「俺」だったのか?」の観点のみを客観的判断したい意図です。
大山のぶ代の証言
まず、大山さんの「ドラが俺呼びだった」発言は下記があります。
「こんにちは、ぼくドラえもんです」というセリフも、実は私が考えました。台本では、ドラえもんの一人称は「おれ」だったんですよ。ドラえもんはいつでものび太を見守っているお母さんのような存在だし、未来から来た子守り用ねこ型ロボットなんだから乱暴な言葉は最初からインプットされていないと思ったんです。それでまず、のび太に対して「こんにちは、ぼくドラえもんです」と自己紹介をしました。勝手に変えちゃって怒られるかなと思ったんですが、演出家の方が何も言わずに任せてくださったのがうれしかったですね。
【声優道】大山のぶ代さん「たくさんのことを教わった『ドラえもん』2010年インタビュー
また私は出典を抑えられていないのですが、かなり詳しいyoutuber「ゆっくりドラちゃんねる」では
ドラえもん放送開始の予告CMの台本が「オレ、ドラえもん。お楽しみに!」だった。
とあり、それを大山さんが「こんにちは。ぼくドラえもんです。」に変更したと紹介しています。(↓該当箇所から再生されます)
また「台本は俺」とは書いてないですが、台本変更して「こんにちは、ぼくドラえもんです」を生み出したと説明する別パターンの紹介もあります↓。
大山:最初は台本には「こんにちは、ボク、ドラえもん」とは書いてなかったんですよ。
インタビューチャンネル 第3回/大山のぶ代さん<女優・声優> Q&A2003.03.07更新
聞き手:じゃあ、あれは大山さんのアイディアだったんですね……!?
大山:イメージ アイディアというか、私はそうだろうなと思ってやったら、それを演出の方たちも認めてくださったのね。 以後、「そうです」とか「ちがいます」とか、「ボクは」とかお行儀よく(笑)。だから、ドラえもんは一度も「オレ」なんて言ったことないんです。
大山:だから、ドラえもんとのび太の初対面のときも、「やあ、オマエがのび太か」なんて、絶対に言わないはずだと思ったの。
週刊アスキー・2005.10.14号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?
進藤:最初の台本では、セリフはそうなっていたんですか。
大山:そう。でも私は「ドラえもんは、こんなこと言わない」と思って、「こんにちは、ぼく、ドラえもんです」と言ったんです。
しかしドラは原作でも「ぼく」呼びなので、「俺」なんていう台本アレンジが存在したのか?という疑問について調べました。当時の台本は入手できそうにないので、周辺情報から絞り込むという方法を取っていきます。
原作で「おれ」と言った例は無い。
自分の知識では原作ドラが「おれ」と言ったシーンは知りません。雑誌掲載時だけ存在した可能性も考え調べてみました。ドラえもんの雑誌掲載時と単行本のセリフ変化などをほぼ全て網羅しているサイトを参考にさせてもらい、そこで「俺」「おれ」「オレ」等で検索したのですが、ドラが俺発言している事例は見つかりませんでした。なので原作ドラが俺と言った事は無い。と判断しています。
となると、「台本は俺だった」説は原作に無いような変更をしようとしていたという事になります。
アニメに本当にあったのか?
大山さんの発言からすると、放送初期のタイミングで「おれ→ぼく」にしたという事になります。初期収録を探ってみようと思います。先に要点を言うと、「俺」呼びの大山ドラは見つからず、放送途中で見直したとかではないようです。となると初回から台本修正したか、台本も僕だったかのどちらかです。
パイロットフィルム「勉強べやのつりぼり」
大山さんが初めて声を入れたのは1978年8月のパイロットフィルム「勉強べやのつりぼり」です。
そこでどのような一人称だったかというと、
アニメ「ねえのび太くん、ぼくらもご飯食べてから行ってみようよ釣り!」
原作「ぼくらも めしくったら 行こう。」
となっています。初回から「ぼく」呼びですが、元々の原作も「ぼく」なので、台本だけ「おれ」になっていたか?というと疑問が残ります。
一方で、原作より丁寧な話し方になってるという要素も確かにあり、
原作「めしくったら」 → アニメ「ご飯食べてから」
原作「川が、このへやに来たんだ」 → アニメ「川が、このへやに来たのです」
原作「手ばり」 → アニメ「手ばりと言います」
原作(この話には無いけど通常「のび太」呼び) → アニメ「ねえのび太くん」
この辺は台本時点か大山さんアドリブのどちらかで原作アレンジした箇所と言えそうです。
アニメ放送第一話「ゆめの町、ノビタランド」
1979年4月2日放送第一話「ゆめの町、ノビタランド」も見ておきましょう。
原作(なし)→「ぼ、ぼくにあたる事ないでしょう?」
原作「ぼくらだけの家。」→アニメ「まずぼくらだけの家を作るんだ」
原作(なし)→「ぼくらが家に合わせて~」
原作「きみもトンネルをくぐれば」→「のび太くんもあのトンネルをくぐれば~」
という感じで「ぼく」は多数出てきますが、原作通りです。このようにいきなり通常回から始まるので出会いの挨拶のようなものはありません。
初期アニメから台本を類推。「のび太」呼び捨ての例あり。
放送初期は毎日1話放送の帯番組形式だったので毎週6話あり、収録も1日に7~8話まとめた事もあったと証言が残っています。1
なので制作順や収録順が並行状態でもしかしたら第1話より先に制作、収録した話もあったかもしれません。
最初の10話を見直してみましたが、3話「テストにアンキパン」では
ドラ「のび太!覚えてきたかい?」
と原作通り呼び捨てする大山ドラを見つけました。これはもしかしたら「台本ではのび太呼びだった証拠」と言えるかもしれません。台本では全て呼び捨てだけど大山さんが他の話ではくん付けアレンジして、だけどこの箇所はアレンジし忘れてそのまま言ってしまった例なのかもしれません。
放送初期の番宣CMが重要そうだけど未確認。
大山さんのインタビューだと自己紹介っぽいシーンですし、ゆっくりドラちゃんねるでも放送当初の予告CMだと言っていますのでぜひとも確認したい重要ポイントです。
しかし番宣CMはソフト化されにくい箇所なので自分はこの実映像を見れてません。もちろん台本も見れません。少なくとも81年に「ぼくドラえもんです。」と言っている番宣CMを見たことがあるのですが…そこまでです。
原作1話「未来の国からはるばると」も考えられるけど…ここでは無さそう。
大山さんインタビューの感じだと「ドラの初めての挨拶」みたいなシーンの話に聞こえます。大山版アニメは第1話からいきなり通常話で始まるのでそんなシーンは無く、出会いの話は放送9ヶ月後の「未来の国からはるばると」です。毎日1話放送なので既に234話も放送しており、十分こなれた頃に今さら台本に「おれ」を入れるとは思えませんので、この時の話ではさそうです。
原作では自らドラえもんと名乗るシーンは無くセワシが紹介する形で登場します。アニメでは「ぼくドラえもん。」のセリフがありますが「こんにちは、ぼくドラえもんです」のような丁寧化はありません。よってこの頃の話をしているわけではなさそうです。
日テレ版ドラも「ぼく」
大山ドラの前にやっていた日テレ版ドラえもんは原作をいじった作風なので、もしかしたらこの頃「おれ」で、それを引き継いだ可能性はないか?と思い調べました。
日テレ版の本映像は見た事無いのですが、現存する情報から富田耕生の初代ドラの台本に「ぼく」と書かれた例を見つけ2、また野沢雅子の2代目ドラの最終回音声でも「ぼく」呼びを確認しました。なので「日テレ版は独自アレンジで「おれ」だった」みたいな事もなさそうです。
F先生の慎重姿勢を考えると俺アレンジは…
大山版ドラはドラえもんの2回目アニメ化で、前の日テレ版ドラは原作をいじった所も多くF先生にとって不満の残る作品だったようです。そのためこの再アニメ化にF先生は慎重な姿勢を見せており、通常しない企画書提出をさせて、確認の上でGOサインを出したと言われています。これくらい慎重だったアニメ化でいきなり原作にない「おれ」設定を台本にぶち込んでくるとは考えにくいし、また初期の企画に関わった高畑勲も「原作をそのままやればいい」と言った記録もあるので大きくいじる事はなく、やはり台本も「ぼく」だったのでは…と思えます。
当時の記憶は本人も認める不安定さがある。
この「一人称は俺」発言は2010年で、昔の記憶を辿っている状態です。他にも当時を振り返るエッセイ本が2006年に発売しておりここでも言葉遣いを丁寧に直した旨を紹介していますが、放送初期の記憶はあいまいな部分があるという説明から始まります。3
たった二十七年前のことなのに、案外、人の記憶ってあてにならないものですね。
引用元:大山のぶ代「ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いのドラえもん声優26年うちあけ話。」第一章 運命の出会い 2006年5月26日
私は、初めて”あの子”に会ったのが、冬の初めだと思い込んでいました。
でも本当は、夏の終わりに近いころだったんですって!
実際、発言内容にいくつか食い違いが見つかっています。4という事で、大局的な意味は合っていても、細かい部分は違うという事はありそうです。そう考えると「台本より丁寧な言葉遣いに変更した」という大意は正解だけど、「おれ→ぼく」は勘違いで、その他の「ですます調」「のび太にくん付け」あたりが大山さんの実績という可能性は十分にあります。
まとめ、結論。
調査をまとめるとこんな感じです。
それら情報から、こんなのだったら辻褄が合うのでは?という推測をしてみると
図にすると↓確かに原作とアニメには赤部分の差があるので、大山さんはそこのアレンジに関わった可能性はあります。
しかし原作が「ぼく」なのに台本で「おれ」になり、さらに大山さんが「ぼく」に戻したというような事は無く、後年の記憶で赤アレンジの事を話そうとして記憶違いで「おれ→ぼく」にしたと言ってしまっているのでは…という推測になります。
よって、大意「原作通りの荒いセリフを丁寧に訂正した」は合っているが、台本が「おれ」というのは勘違い。という推測がこの記事の個人的な結論となります。
おまけ:大山のぶ代と無関係の文脈での「ぼく」以外
大山のぶ代の証言に従い初期台本に「おれ」があったかを考察してきましたが、その文脈と関係ない箇所では「オレ」等が出た箇所はあります。こぼれ話的に紹介します。
「オレ、ドラえもん」の紹介記事(日テレ版ドラ)
山梨日日新聞1973年3月29日に日テレ版アニメ放送開始を紹介する記事見出しが「オレ、ドラえもん」です。ただこの時点ではドラは単行本化もされていないマイナー作品で新聞側には情報がほぼ無く、「ネオユートピア」45号では「(放送前で)一人称が不明だっため、適当に見出しをつけたって感じです」と推測しています。これは大山ドラとは無関係です。
わさドラで「おれ」。ただし特殊状況。
2009年9月11日放送のオリジナルアニメ「ドラえもんの長い一日」で
ドラ「野球はおれの大好きなスポーツだぜ!」
等、わさび声で「おれ」と言うドラのセリフが何回か出てきます。
これは実は22世紀の犯罪者ロボット「デンジャ」と入れかえロープで人格が入れ代わっている状態なので、通常のドラが言っているわけではありません。
半濁点の「ぽく」呼びのドラ
原作のごく初期の段階では、ドラの一人称が半濁点の「ぽく」だった事があります。(小学二年生と四年生の初期数回)それなりに登場するので誤植ではなく意図的と思われます。この頃のドラは「だ行」が「ら行」になる舌足らずな話し方したりもするので、初期の出来損ない感の強いドラの演出だったのかもしれません。(河井質店さんに教えていただきました。ありがとうございます!)
また日テレ版ドラえもんの台本がオークションに出ていたのですが、第6話「キューピットで好き好き作戦の巻」のページが映っており、ドラえもんの一人称が「ぽく」と書かれている例があります。(他の話では濁点の「僕」なので色々と謎です。)
「おいら」呼びのドラ
日テレ版ドラえもんED「ドラえもんルンバ」の歌詞は「おいらツヨイ …ネコガタロボット」です。非常に珍しい「おいら」ドラえもんです。同じ作詞家横山陽一の別歌「あいしゅうのドラえもん」では「ネズミが苦手な僕だけど」になっているし、本編では「僕」なのでオイラだけ謎です。歌の語呂ですかね。
また脱線ですが原作「タヌ機」の回にはドラが「おいらのともだちゃポンポコポンのポン」と言いますが、これは「証城寺のたぬき囃子」の歌詞を歌っているだけですのでノーカウントですね。その前のセリフは「そしてぼくはタヌキだ。」と言っており、ぼく呼びを守っています。
終わりに
という事で外堀から消去法的に推測したものの、台本を見ていないので真実には到達できていません。なので
・ドラえもんが「おれ」と書いてある実例(当時の台本、原作のコマ、アニメ放送回)
・「こんちは、ぼくドラえもんです」と発言したアニメ初期の実例(放送半年以内くらい)
・そもそもどの時期から番宣や次回予告があったのかの情報
などがあれば教えて下さい。情報をアップデートしていきたいと思います。
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