「映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生」の感想レビューです。総合的な感想は「原作に眠る原石を掘り出して自立の物語に見事に昇華した、極めて完成度の高いリメイク作」という感じで大満足の一本です。旧作は自分の中ではそこまで評価は高くなかったのですが、今作はわさドラTOP3に入るくらいに高評価の作品です。完成度が高いからこそさらなる高望みをしてしまう所もありますが、良い所と、ここをもう一歩!という所も書いていこうと思います。
感想。良かった所。
具体的な良い所を挙げていきたいと思います。
ただの家出を、自立の物語に再構築
旧作の基本モチベーションは「自由な場所が欲しいから石器時代に家出する」という感じで冒険のきっかけレベルにしかなってなかったのですが、今作は家出を「親離れ、自立」という切り口で描いてます。
最初は自由な生活への憧れからの楽園作りで話が進んでいきますがが、その中で
・全てが自給自足の原始時代を通じて、自立の大変さを感じる。
・空想動物を育てる事で、子を想う親の気持ちを理解していく。
という形で少しづつ学んでいき、そしてギガゾンビ打倒というメインストーリーラインを完遂した頃には「自分たちの力でやりきった」という成功体験を経て、現代でもがんばろうと宿題に取り組み話が閉じるという、一本の成長物語に仕上がっています。
これらが、新キャラ登場やストーリー変更のような大幅な改変をする事なく旧作の隙間を丁寧に描く事で作り上げているのがすごいです。これはお見事と言う他ありません。
タイムパトロールの使い方が3つの観点で向上。
旧作の不満点の一つに「最終的にタイムパトロール(TP)が全部片付けてしまう」というものがありました。のび太がピンチになれば前触れ無く現れ、最後もドラえもん達の努力関係無く全解決してしまうのが残念でした。今回はそれらが解消、向上しています。
1.ギガゾンビはドラえもん達の力で倒し、TPは事後処理のみ対応
今作ではギガゾンビとその軍団を倒すのがドラえもん達とククルになっていました。
しかもそこにはククルの持つ狩りの知識、原始人の身体能力などを駆使した「人間の底力」で勝つというロジックになっており「未来の技術頼りでチートしてるやつが、その時代で真剣に生きているやつには敵わない」という納得感ある決着になっています。(ちょっとドラえもんの立ち位置が危うくなる論法ではありますが…雰囲気で乗り越えてます)
そして決着がついた後にTPがギガゾンビ逮捕、基地破壊だけを担当するという形になったので物語のカタルシスがぐっと上がりました。今作のテーマでもある「自分の力でやりぬく」ともリンクしており良いです。
2.TPを石器時代に連れてきたのもドラえもんの功績になった。
TPが石器時代に来た理由も「元々張り込んでいた」ではなく、ツチダマの成分分析を頼まれたドラミが時空犯罪に気づきTPを呼んだという展開になっており、TPを呼んだ事自体もドラえもん達のおかげという風になっているのも、自力要素が増えていていいです。
また「TPは最初から石器時代にいたわけではない」の設定のおかげでのび太遭難時に急に助けてくれる都合の良いTPの要素は消え、そこを空想動物達に置き換える事でのび太の自立性、空想動物との絆に描き直せたというのも良い点です。
3.空想動物との別れがよりドラマチックに
TPが空想動物達を引き取るという点は旧作と一緒ですが、隊長がおじさんキャラではなくお姉さんキャラ(F作品「TPぼん」からリームがゲスト出演)になっています。これは単なるファンサービスというだけではなく「のび太の成長を見届ける、ママに代わる女性キャラを配した」と監督が語っており、確かにこの改変はドラマチックさが上がってよいなと思いました。
宣伝要員を棲み分けで対応した、質を下げない作品構成
商業映画では仕方の無い要素ともいえるゲスト声優などの宣伝要員。ドラえもんでも毎作なんらか組み込まれ、たいてい作品の質を下げてしまうのでこれが前に出すぎない事が望ましいですが、今作はいい感じです。
主題歌やメインキャラ声優にもってこられると心配が増えるのですが、今作では主題歌は実力派の山崎まさよし。メインキャラも本職声優で固め、芸人などのゲスト声優は端役に最小限という感じで作品クオリティを上げる側に振っており実際うまく行っていると思います。
それでいて宣伝をないがしろにしているわけではなく、子役のエヴァちゃんと芸能人を使った映画専用の歌「ウンタカダンス」(CDまで出している)を作り宣伝をしているにも関わらず、それを映画本編には一切使用せずに別展開にしていたり、こういう棲み分けがうまいと思います。
惜しい!という所
この作品はほぼ満足の出来なので、ここから書く事は高望み要素ばかりです。
時空乱流の都合良さは前のまま。少し改善するが、ならばもう一歩!
今作に登場する「時空乱流」は飲み込まれると別の時代に飛ばされるという現象ですが、よくよく考えるとこれに巻き込まれる日付が都合良すぎな展開なんですよね。
・ククルが石器時代→現代に飛ばされるのは時空乱流によるランダムな現象。
・ドラえもん達が現代→石器時代に行くのはタイムマシンで自ら日付指定したもの。
という感じでこの2つのタイムトラベル方法には特に関係性がないにも関わらず、両者の行く日と来る日が完全に一致しているんですよね。(ドラえもんはなんとなく指定した日が偶然にも時空乱流発生日と一致、ククルは偶然のび太達の家出日に到着する)ここに何の説明も無く、正直ご都合主義と言えます。
旧作では時空乱流はただの自然現象で、なぜ起きたのか、なぜ日が一致したのかといった事は完全スルーでした。今作では説明が加わりギガゾンビが亜空間破壊装置を試験起動した影響で石器時代に発生したという設定が加わりました。これによってなぜククルの時代に発生したのかには説明が付くようになりました。
しかし根本の疑問は結局解決していません。手を入れるなら下記にも答えて欲しかったです。
1・なぜククルはドラえもん出発日に飛ばされたのか
2・なぜドラえもんたちは自ら日付指定したのに時空乱流当日に到着したのか
サラッとでいいから納得感ある説明入れてほしかったなと思います。
例えば
1はドラえもん達が移動中に遭遇した時空乱流を恐れて、現代に帰りやすいようにマーカーを残しておいたらそこにククルが吸い寄せられたとか。または単に引き出しを開けっ放しにしてたらククルがひっかかったとか。
2は単純なのはククルと同じ時空乱流に逆に吐き出されて到着したという展開にする事ですが、そんな危機的状態から急にパラダイス作りに気分が切り替えにくいとは思うので、なんかいい案を入れてほしい所です。
※よくよく考えていくと時空乱流ってインパクトの割にあんまり作中重要でないんですよね。現代に飛ばされたククルは半日で石器時代に戻され、現代世界での学び等も特に無いです。単にククルが時間移動なく石器時代の日本に単独吹っ飛ばされたとしても話は成立しちゃいます。
「僕はみんなのお母さん」意図はわかるけどやっぱり違和感
のび太が空想動物3匹に対して「僕はみんなのお母さんだからね」と言うシーンが2回あります(誕生時、別れの時)。
意図はわかります。今作は親心がテーマで、子の心配をするのび太ママと、疑似的な育児を通じて親心ががわかるようになったのび太を対比させる意図があって「母」というワードで統一しているのは理解できます。また一般的なイメージで考えても母性と表現した方が的確な接し方でしたので、これはこれで正解なのだと思います。
とはいえやはり、のび太は男ですから単純に日本語として「ん?」となる違和感は拭えませんし、「育ててくれる人=お母さん」というジェンダー観と解釈されかねない所も気になります。
かといってその言葉を「お父さん」「親」にしたらよかったのかというと、言葉的な違和感は無くなるもののテーマがボヤけます。制作側もこの辺りは承知の上でそれぞれを天秤にかけて今のセリフにしたのだとは思います。が…難しいところです。
ククルの子供たちをエリ様似にして欲しかった!
今作ではTP隊員を別の藤子F作品「T・Pぼん」からゲスト出演させるなど藤子ファン向けの小ネタにも溢れていました。
であればぜひとも組み込んで欲しかったのが「チンプイからのオマージュ」です。
F作品「チンプイ」の主人公、春日エリは「始めて日本へ移住してきた原始人グループのリーダー ウンバホ氏の子孫」であるという設定があります。そしてこの「ウンバホ」というのはククルの成人名である事が原作版のび太の日本誕生で明かされています。(「ククルはたくましく成長し族長になっていた。ウンバホ(日の国の勇者)と呼ばれ村人に尊敬されていた。」)
のび太の日本誕生はチンプイとリンクする作品なのでこの小ネタ入れてほしかった所です。
エンドクレジットには成人したククルと妻、子供達と思われる絵が挿入されますが、子供の顔をエリ様に似た顔にしてくれれば思わずニヤリとできたのに、ここ惜しい!って感じです。
終わりに
今作は「平均的な出来だった旧作を大改編する事なく隙間を掘り下げるだけで傑作に生まれ変わらせたリメイクのお手本」という評価です。旧作よりずっと好きな一作になりました。このクオリティでリメイクが続いて欲しいです。
コメント