ジャイアンの本名「武」には元ネタがあるという説があり、藤子スタジオの元アシスタントえびはら武司が「僕の名前「たけし」からとったんです」旨の発言を何度かしています。本人が書籍やインタビューなどのメディア等で発言しているためwikipedia等でも出典元として使われており、少し知られた裏話と言う感じで扱われています。しかしこの発言には少々矛盾点などもあり、はたしてどれくらい信憑性あるのかを検証してみたいと思います。
前置き
えびはら先生はドラえもん初期にF先生の隣で仕事をした貴重な情報を語れる人で、また藤子両先生を尊敬されている事は間違いありません。社交的でよく話す楽しい方で、本人のyoutubeとか見ると人柄がわかります。ただその持ち前のサービス精神が過ぎて大げさに話す事もあるので、この発言が盛られた話なのか、事実なのかを読み解きたいという意図になります。
本名「たけし」の元ネタ説の描かれ方
えびはら先生元ネタ説は、本人のアシ時代を振り返った4コママンガ「まいっちんぐマンガ道」内に登場します。下記2話です。
連載当初から名前がなくてあだ名だけの ジャイアン!
引用元:えびはら武司藤子スタジオアシスタント日記まいっちんぐマンガ道「ジャイアンはジャイアン」
F先生「同じ名前の子がイジメとかの対象になったらかわいそうだし…」
……とわざと名前をつけないでいたのです
しかし連載が続いているうちに…「名前を教えてほしい!」というファンレターがどんどん増えてきたのでした~!
F先生「みんなが納得する名前を決めないといかん… ………」
あきらかに動揺していたように見えました…!
そしていつの間にかついていた名前が…タケシ!
引用元:えびはら武司藤子スタジオアシスタント日記まいっちんぐマンガ道「ジャイアンはタケシ」
F先生「たまたまですよ」
えびはら「どうしてボクといっしょなんですか~?」
F先生「名前の由来を聞かれた時に…『一番 身近な人からとった』…と言えばイジメよりも愛される対象になるんじゃないかと思って…」
えびはら「やっぱりそうなんじゃないですか~!?」
厳密な回顧録ではなくあくまで4コマ漫画のエンタメ作品で、えびはら先生の「もしかしたらこうだったのかもしれません。私はこう信じてます」という解釈として面白おかしく紹介しています。
一方、真面目な経済ニュースサイトのインタビューでも同様の発言をしています。↓
(えびはら)ストーリーに直接関係ない属性は、勝手にやってという感じ。「ジャイアン」の本名「タケシ」も僕の名前。最初ジャイアンはジャイアンで通してた。名前をつけて同名の子がいじめられたらかわいそうだから、と。でもそのうち、「何でジャイアンだけ名前がないんですか?」って子供たちから投書が来た。それで急きょ、隣で手伝ってた僕の名前と誕生日が使われました。
引用元:東洋経済ONLINE「弟子が語るドラえもんの知られざる”黒歴史”」(2019年2月3日)
ここではハッキリと自分が由来だと言っています。(長いインタビューなので端的に話しただけかもしれませんが)
本名「たけし」について気になる箇所
このように本人の証言があるものの、事実関係を並べると疑問点があります。
(矛盾)原作での初登場がアシスタント入社前
ジャイアン本名「たけし」が初登場したのは1972年6月号「おはなしバッジ」です。えびはら先生が藤子スタジオにアシスタント入社したのは1973年8月。入社前に既に名前が決まってるなら、えびはら先生から取ったはずは無いという事になります。一応ギリギリの可能性として、入社は1973年だけど、面接(?)としてF先生に会ったのは1971年夏の事だったという発言がyoutubeにあります。とはいえ弟子入り志願で一度会っただけの高校生の名前を使ったというのは無理がありますし、上記のマンガではジャイアンの名前に苦悩するF先生を横で見てたかのような描写なのですが時期的にそれもありえません。
(要注意)本名をためらったという逸話はジャイ子と同じ。
ジャイアンに本名をつけない理由に「同名の子がイジメに合ったらかわいそう」というF先生の言を紹介していますが、これは「ジャイ子に本名をつけなかった理由」として知られている逸話と同じです。シンエイ動画の別紙壮一がジャイ子の名前を聞いた時に「同名の子がいじめられたらかわいそうだから本名を決めない」と答えたとされるもので、2005年頃明かした逸話です。
えびはら先生の方が明かした時期が遅いので、このジャイ子の逸話をどこかで混同して自分の経験談のように話してしまっている。という可能性はあります。もちろん「ジャイ子の時にも言ったくらいだから、F先生はジャイアンの時も同じ事言っていたのだろう」と補強側に捉える事も可能です。なので肯定、否定どちらにも使える情報で要注意です。
まいっちんぐマンガ道は「こう信じている」という盛り描写多め。
そもそもまいっちんぐマンガ道はエッセイではあるもののエンタメ4コマ漫画で、真面目な回顧録ではありません。面白さ優先のため全体的に盛っている感じがあり、本人も「思い違い、あいまいな部分もあります。マンガなので軽く読んでください」旨をあとがきに書いてます。実際、後のインタビューなどで「漫画ではああ描いたけど実際はちょっと違って」みたいな発言もされていますし、額面通り受け取らずに資料としては一歩引いて読む作品です。
youtubeでより真実っぽい回答をしている!
youtube「荒深ちゃんねる」でインタビューを受けた時に同じエピソードを話してるのですが漫画とは異なる状況描写で話されています。↓
ドラえもん単行本の出版準備時、F先生は過去原稿を積み上げて何を収録するか選考していた。
その時、原稿にはジャイアンの本名が無いね、どうしましょうかという話になった。「同名の子がいじめになるとかわいそうだから名前つけない」旨を言い、だからジャイアンのままで行こうとなった。
しかし、発売された単行本を見たら、「武」になっていた。
なんでそうなったかについては、僕は聞けなかった。
(インタビュアーの「って事は武はえびはら先生の名前からとったのか?」旨の質問に)
それしかないでしょうね。アシスタントからとったといえば言い訳になるのかなと思った。結構そういうノリで決まる事が多いので軽い考えだと思う。
という事で、まいっちんぐマンガ道では「武の理由をF先生に聞いた。アシから取ったら言い訳になる旨をF先生が言った」となっていましたが、こちらでは「F先生には聞いておらずえびはら先生の推測である」という事が明らかになっています。
一方、「ジャイアン本名を質問する読者はがきがあった」「F先生はいじめ防止で本名つけないと言っていた」という部分はここでも同じく語られています。
と言う事で、ここから判断する限りでは単純にえびはら先生の推測なだけで、F先生は武の元ネタについて何も発言していない。という事になります。入社前から名前が登場していた事と合わせると、武の名前はえびはら先生とは関係無い。という事になると思います。
えびはら先生の在籍時に本名を決めるタイミングも確かにあるのだけど。
武ではないですが、名字「剛田」が初めて登場したタイミングというのがあり、小学六年生1975年3月号「ツチノコ見つけた!」で初めてジャイアンのフルネーム「剛田武」が登場します。
(百科事典)「東京の剛田武さんによって発見され……。」
小学六年生1975年3月号「歴史に名を残そう!」(現:ツチノコ見つけた!)
のび太「ゴーダタケシ?……どこかできいたような。ジャイアンじゃないか!!」
話の流れとして百科事典に名が残るシーンなのでアダ名のままでは都合が悪く、「未定だったジャイアンのフルネームをつける必要性が出たタイミング」と言えます。在籍時期的にその場にえびはら先生がいても自然です。この時のやりとりだったのでしょうか?
しかし物語は「剛田武って誰だっけ?そうだジャイアンの事か!」というコマ運びで、ジャイアンに本名を付けないと描けない演出になっています。えびはら先生の言う「その場ではジャイアンの本名はつけずに行く事になった」というのは成立しないです。
むしろここにえびはら先生がいたのなら、原作でフルネームが決まる瞬間に立ち会ったという事ですので、「後から知った」という説明と矛盾する事になりよけいに謎が深まります。
えびはら先生の勘違いの元はそれともこっち?
えびはら先生の言う「雑誌ではジャイアンだったのにコミックで武になった箇所」があるかも調べます。
雑誌とてんコミの変更点比較という膨大な資料を要する確認作業ですが、ありがたい事にその辺りをほぼデータベース化している素晴らしいサイトがあり、使わせて頂きました。ここで「武」「たけし」「タケシ」などで検索した所…これなのかな?というのが1例ありました。
1973年08月号掲載、てんコミ8巻(1975年7月)収録「キャンデーなめて歌手になろう」です。
雑誌時:該当コマなし(名前が何も登場しない)
↓
コミック時:自己紹介シーンとして「ゴ、ゴ、剛田武!」が追加
歌番組に出演したジャイアンが自己紹介をするというシーンで、雑誌掲載時には存在しなかったコマが追加されているようです。ジャイアンという表記が武になった1訳では無いですが。本名を追加登場させたシーンではあります。時期的にこのコミック加筆修正の作業にえびはら先生が関わっている可能性はあり、ここでもし「当初はジャイアンのまま行こうとしていたのに、最終的には(えびはら先生の知らない間に)武のコマ追加されていた」という事があればその記憶を話している仮説も立てられないわけではないのですが…ただそもそも数ヶ月前に「ツチノコ見つけた」を手掛けているわけで、F先生もえびはら氏も全員忘れてたって事はないのでは。と思えます。うーん。
読者からの質問はがきは本当にあったと思われる。
まいっちんぐマンガ道でもyoutubeでもえびはら先生は「読者からジャイアンの本名が知りたい旨のはがきが来ていた」と言っています。これは実際そういう様々な読者の質問に公式回答した1975年「ドラとバケルとあとひとつ」などの実例がありますし、こういう質問はがきをえびはら先生は日常的に目にしていたと思われます。
まとめ
まず、証言や事実関係を要約するとこんな感じです。
■えびはら先生の異なる証言2種。
・証言1:漫画執筆時に本名を決める必要性に迫られ、F先生が武と決めた所を目にした。えびはら武司の名前から取ったのか直接聞いたが、はぐらかされた。
・証言2:単行本収録時に本名に関する疑問が浮かび、その場ではジャイアンのままで行こうとなった。しかし実際の単行本では武になっていた。F先生には確認しておらず、本人の推測に留まる。
■原作や事実から読み取れる事
・漫画での「たけし」初登場はえびはら先生の入社1年前。
・在籍期間中に、フルネーム「剛田武」を決めるタイミングがあった。(ツチノコ見つけた)
・在籍期間中に、雑誌掲載版には未記入だった本名をコミック追加する事があった(キャンディなめて歌手になろう)
■憶測レベルの事
・「ジャイアンの本名は何か?」という読者ハガキが届いてた可能性は高い。
・F先生が「ジャイアンに本名つけたらいじめになる」と言ったかは判断できない。
その上で、個人的な推測ですが、こんな感じかなと思っています。
・ジャイアンの本名「武」はえびはら先生と無関係。えびはら先生入社前から決まっていた。
・それとは別に、えびはら氏の中に勘違いの記憶を作ってしまうような個別の出来事はあったのかもしれない。例えば1974年前半頃(まだ剛田が決まってない時期)にジャイアンの本名を知りたいはがきが届いており、雑談として「本名どうします?」「(名字を特につける必要は)要らないよね」みたいなやりとりがあったとか。
その後、「ツチノコ見つけた」や「キャンディなめて歌手になろう」などで剛田武が登場する瞬間に立ち会ったりして、ジャイアンがいつのまにか武に決まったように感じた。しかしその場では確認せず心の中で「もしかして僕の名前から取ったのかな?」と思った。とか。
えびはら先生は断片的に「ジャイアンの本名どうするか聞いた」「いつのまにか剛田武になってた」みたいなイベントに立ち会い、後年になりあいまいな記憶の中でマンガ的に一本のわかりやすいエピソードとしてつなげて大げさに描いたらああなった。と言う感じなのかなあ、と推察します。
個人的な仮説を立てただけですので本当はわかりません。もしより詳しい情報がわかる人いましたらぜひ教えて下さい。
補足
- ジャイアンが武に変わった例というのも1個確認できて、1980年4月号掲載、てんコミ34巻(1985年8月)収録「フクロマンスーツ」ではしずかの「ジャイアンさん、お願いね」が「タケシさんおねがいね」に変更されたようです。ただ時期的にえびはら先生の体験談の時期には思えず、また34巻の頃となるともう武の名前は何度も出て普及しているのでこの箇所ではないと思います。 ↩︎
コメント