ドラえもん一人称が当初「俺」だったのは本当なのか?調べてみる。

大山のぶ代さんは誰もが知る先代のドラえもん声優。作品に真摯に向き合い自分なりのドラえもん像をアニメに織り込んだと各種で語られています。その中の一つに「当初台本のドラえもんの一人称が「俺」だったから、「僕」に修正した」という発言があるのですが、それが本当なのか調べた記事です。

結論(推測)

結論は「当時の原作にもアニメにも「俺」例は無い。各種状況証拠から推測すると台本が「俺」だった可能性は低い。大山さんはデタラメ言っているのではなく「予告等で言葉使いを丁寧アレンジした」という大意(図の赤文字)を伝える過程で勘違いしたのでは。台本実物を見てない以上真実は不明。」です。
また初期台本とは無関係の箇所なら「オレ」ドラえもんは存在します。詳細を説明します。

前置き

大山さんがドラえもんに真摯に向き合い独自のアレンジをした趣旨は事実と考えていますし、国民的作品の一翼を担った功績は疑いようもありません。本記事は、台本が本当に「俺」だったのかの観点のみを客観的判断したい意図です。

大山のぶ代の証言など

まず、大山さんの「ドラが俺呼びだった」発言は下記があります。

「こんにちは、ぼくドラえもんです」というセリフも、実は私が考えました。台本では、ドラえもんの一人称は「おれ」だったんですよ。ドラえもんはいつでものび太を見守っているお母さんのような存在だし、未来から来た子守り用ねこ型ロボットなんだから乱暴な言葉は最初からインプットされていないと思ったんです。それでまず、のび太に対して「こんにちは、ぼくドラえもんです」と自己紹介をしました。勝手に変えちゃって怒られるかなと思ったんですが、演出家の方が何も言わずに任せてくださったのがうれしかったですね。

【声優道】大山のぶ代さん「たくさんのことを教わった『ドラえもん』2010年インタビュー

また2015年12月13日放送のNHKドラマ「ドラえもん、母になる〜大山のぶ代物語〜」にも第1話収録時に予告CMも一緒に録ったとされる再現VTRが下記のように描かれています。

(台本に以下のように書かれている)
ドラえもん「オレ、ドラえもん。お楽み(原文ママ)に!」
(それを見た大山が)
大山「ああ…これ、放送前に流れるのよね?」
橋本「ええ。予告ですから。」
大山「ちょっと、このセリフ変えてみてもいい?」
橋本「何かアイデアがあるんですね。やってみましょう。」
大山「子守ロボットの最初の言葉…。(台本の「オレ」部分を赤ペンで書き直して)よし、お願いします!」
橋本「それでは収録いきましょう。本番いきま~す。」
大山「こんにちは。ぼくドラえもんです。どうぞよろしく。
橋本「いいですね!ありがとうございます。」

※橋本浩二はアニメ版ドラえもんのプロデューサー。

引用元:2015年12月13日放送NHK「ドラえもん、母になる〜大山のぶ代物語〜」

また「台本が俺になってた」とは書いてないですが、台本変更して「こんにちは、ぼくドラえもんです」を生み出したと説明する別パターンの紹介もあります↓。

大山:最初は台本には「こんにちは、ボク、ドラえもん」とは書いてなかったんですよ。
聞き手:じゃあ、あれは大山さんのアイディアだったんですね……!?
大山:イメージ アイディアというか、私はそうだろうなと思ってやったら、それを演出の方たちも認めてくださったのね。 以後、「そうです」とか「ちがいます」とか、「ボクは」とかお行儀よく(笑)。だから、ドラえもんは一度も「オレ」なんて言ったことないんです。

インタビューチャンネル 第3回/大山のぶ代さん<女優・声優> Q&A2003.03.07更新

大山:だから、ドラえもんとのび太の初対面のときも、「やあ、オマエがのび太か」なんて、絶対に言わないはずだと思ったの。
進藤:最初の台本では、セリフはそうなっていたんですか。
大山:そう。でも私は「ドラえもんは、こんなこと言わない」と思って、「こんにちは、ぼく、ドラえもんです」と言ったんです。

週刊アスキー・2005.10.14号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?

しかしドラは原作でも「ぼく」呼びなので、「俺」なんていう台本アレンジが存在したのか?という疑問が浮かびます。当時の台本は入手できそうにないので、周辺情報から絞り込むという方法で調べてみました。

原作で「おれ」と言った例は無い。

自分の知識では原作ドラが「おれ」と言ったシーンは知りません。雑誌掲載時だけ存在した可能性も考え調べてみました。ドラえもんの雑誌掲載時と単行本のセリフ変化などをほぼ全て網羅しているサイトを参考にさせてもらい、そこで「俺」「おれ」「オレ」等で検索したのですが、ドラが俺発言している事例は見つかりませんでした。なので原作ドラが俺と言った事は無い。と判断しています。
となると「台本は俺だった」説は、原作に無いような変更をしようとしていたという事になります。

アニメに本当にあったのか?

大山さんの発言からすると、放送初期のタイミングで「おれ→ぼく」にしたという事になります。初期収録を探ってみようと思います。先に要点を言うと、世に出たアニメで「俺」呼びの大山ドラは見つからず、放送途中で見直したとかではないようです。となると初回から台本修正したか、台本も僕だったかのどちらかです。

パイロットフィルム「勉強べやのつりぼり」

大山さんが初めて声を入れたのは1978年8月のパイロットフィルム「勉強べやのつりぼり」です。
どのような一人称だったかというと、

アニメ「ねえのび太くん、ぼくらもご飯食べてから行ってみようよ釣り!」
原作「ぼくらも めしくったら 行こう。」

となっています。初回から「ぼく」呼びですが、元の原作も「ぼく」なので、台本だけ「おれ」になっていたか?というと疑問が残ります。
一方で、原作より丁寧な話し方になってるという要素も確かにあり、

原作「めしくったら」 → アニメ「ご飯食べてから
原作「川が、このへやに来たんだ」 → アニメ「川が、このへやに来たのです
原作「手ばり」 → アニメ「手ばりと言います
原作(この話には無いけど通常「のび太」呼び) → アニメ「ねえのび太くん

この辺は台本時点か大山さんアドリブのどちらかで原作アレンジした箇所と言えそうです。

放送前の特番予告、次の予告で「ぼくドラえもん+です」の登場。

1979年4月1日、放送前週の特番「ぼくらのともだちドラえもん」が放送されたそうで、ドラえもんマニアとして有名な方のHPにその予告内容の書き起こし記録があるので参考にさせてもらいます。私は本映像を見ていませんがこの情報は信頼できる情報だと判断しています。
4/1の予告で「ぼく、ドラえもん」というセリフがあり、次に予告のあった4/8放送で「ぼく、ドラえもんです。」となり、そこで「です」が付いたようです。
最初の予告と次の予告で言い回しが変化した事は台本アレンジを思わせますし、原作には一般的ではない「です」が追加されたというのも大山さんの言う丁寧化にも思えます。アレンジがここの事を指している可能性はありそうです。

アニメ放送第一話「ゆめの町、ノビタランド」

1979年4月2日放送第一話「ゆめの町、ノビタランド」も見ておきましょう。

原作(なし)→「ぼ、ぼくにあたる事ないでしょう?」
原作「ぼくらだけの家。」→アニメ「まずぼくらだけの家を作るんだ」
原作(なし)→「ぼくらが家に合わせて~」

原作「きみもトンネルをくぐれば」→「のび太くんもあのトンネルをくぐれば~」

という感じで「ぼく」は多数出てきますが原作通りです。いきなり通常回から始まるので出会いの挨拶のようなものはありません。

初期アニメから台本を類推。「のび太」呼び捨ての例あり。

放送初期は毎週6話で、1日に7~8話まとめて収録もあったと証言が残っています。1
もしかして制作順や収録順が並行状態で第1話より先に制作、収録した話もあったかもしれません。
最初の10話を見直してみましたが、第3話「テストにアンキパン」に、

ドラ「のび太!覚えてきたかい?」

と原作通り呼び捨てする大山ドラを見つけました。これはもしかしたら、台本ではのび太呼びだった証拠と言えるかもしれません。台本では全て呼び捨てだったけど大山さんが君付けアレンジして、だけどこの箇所はアレンジし忘れてそのまま言ってしまった…という例なのかもしれません。

日テレ版ドラも「ぼく」

大山ドラの前の日テレ版ドラえもん(1973)は原作をいじった作風なので、もしかしたらこの頃「おれ」で、それを引き継いだ可能性はないか?と思い調べました。
日テレ版の本映像は見た事無いのですが、現存する情報から富田耕生の初代ドラの台本に「ぼく」と書かれた例を見つけ2、また野沢雅子の2代目ドラの最終回音声でも「ぼく」呼びを確認しました。なので、日テレ版は独自アレンジで「おれ」だったみたいな事もなさそうです。

F先生の慎重姿勢を考えると俺アレンジは…

大山版ドラはドラえもんの2回目アニメ化で、前の日テレ版ドラは原作をいじった所も多くF先生にとって不満の残る作品だったようです。そのためこの再アニメ化にF先生は慎重な姿勢を見せており、通常しない企画書提出をさせて、確認の上でGOサインを出したと言われています。これくらい慎重だったアニメ化でいきなり原作にない「おれ」設定を台本にぶち込んでくるとは考えにくいし、また初期の企画に関わった高畑勲も「原作をそのままやればいい」と言った記録もあるので大きくいじる事はなく、やはり台本も「ぼく」だったのでは…と思えます。

当時の記憶は本人も認める不安定さがある。

この「一人称が俺だった」発言は最古でも2010年で、昔の記憶を辿っている状態です。他にも当時を振り返るエッセイ本が2006年に発売しておりここでも言葉遣いを丁寧に直した旨を紹介していますが、放送初期の記憶はあいまいな部分があるという説明から始まります。3

たった二十七年前のことなのに、案外、人の記憶ってあてにならないものですね。
私は、初めて”あの子”に会ったのが、冬の初めだと思い込んでいました。
でも本当は、夏の終わりに近いころだったんですって!

引用元:大山のぶ代「ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いのドラえもん声優26年うちあけ話。」第一章 運命の出会い 2006年5月26日

実際、発言内容にいくつか食い違いが見つかっています。4ので、大局的な意味は合っていても、細かい部分は違うという事はありそうです。そう考えると、台本より丁寧な言葉遣いに変更したという大意は正解だけど、「おれ→ぼく」は勘違いで、その他の「ですます調」「くん付け」あたりが大山さんの実績という可能性は十分にあります。

ドラマの再現VTRも完全な検証という感じではない。

NHKドラマでは第1話「ゆめの町、ノビタランド」収録時に予告用に「オレ」があったと描かれているのですが、このドラマを根拠に真実としていいかは悩ましい所です。
ドラマ全体は過去の大山のぶ代の自伝等を再構成したような内容で一個一個のエピソードは他でも知られているものですが厳密な検証という感じではなくタイミングが違ったり脚色が見られます。5
また「これは取材をもとに再構成した物語です」と表示されますので、まず物語の面白さを優先して組み立ている感じです。

ただ、この番組の公式HPで「初期のドラえもんは一人称が「おれ」であったり」と大々的に紹介してたりするので、自信ある情報なのか?とも思えるので決めつけはできないですね。

まとめ、結論。

調査をまとめるとこんな感じです。

調査した概要まとめ

・大山さん証言は、予告のあいさつで言ったっぽい。(再現ドラマも同じ)
・予告の最初は4/1でそこで「ぼくドラえもん」次に4/8に「ぼくドラえもんです」と言う。
・原作漫画で「おれ」発言は無い。
・日テレ版ドラも「ぼく」。
・大山版はパイロット版時点から「ぼく」で、以降に「おれ」放送例は見当たらない。
・3話では「のび太」呼びの大山ドラもあるので、台本は「のび太」だったのではと推測される。
・原作と比較して他にも丁寧アレンジ(ですます調、のび太くん)が存在する。
・大山さんの記憶は一部勘違いも見られる。
・NHK再現ドラマは完全な検証というより、大意を組んだ脚色があると思われる。

それら情報から、こんなのだったら辻褄が合うのでは?という推測をしてみると

推測した個人的結論

・テレ朝アニメ化時は、F先生の意向もあり原作を大きくいじらない方針で、セリフも原作の感じで台本に書いた。なので「おれ」とは書いてない。

・4/1予告「ぼくドラえもん」を4/8「ぼくドラえもんです」に変更。これは大山が台本をもっと丁寧にした最初期のもので、その後「こんにちは。ぼくドラえもんです」としたり「のび太くん」とする等の丁寧アレンジをいくつか織り込んだ。

・後年になり、初回予告で「ぼくドラえもん」を「ぼくドラえもんです」と丁寧アレンジした事をあいまいな記憶で話した結果、「ぼく」の部分を修正したと勘違いして「最初は俺だった」と発言してしまった。

図にすると↓確かに原作とアニメには赤部分の差があるので、大山さんはそこのアレンジに関わった可能性はあります。
しかし原作が「ぼく」なのに台本で「おれ」になり、さらに大山さんが「ぼく」に戻したというような事は無く、後年の記憶で赤アレンジの事を話そうとして記憶違いで「おれ→ぼく」にしたと言ってしまっているのでは…という推測になります。

よって、原作通りの荒いセリフを丁寧に訂正した大意は合っているが、台本が「おれ」というのは勘違い。という推測がこの記事の個人的な結論となります。

おまけ:大山のぶ代と無関係の文脈での「ぼく」以外

大山のぶ代の証言に従い初期台本に「俺」があったかを考察してきましたが、その文脈と関係ない箇所では「俺」等が出た箇所はあります。こぼれ話的に紹介します。

「オレ、ドラえもん」の紹介記事(日テレ版ドラ)

山梨日日新聞1973年3月29日に日テレ版アニメ放送開始を紹介する記事見出しが「オレ、ドラえもん」です。ただこの時点のドラは単行本も無いマイナー作品で新聞側には情報がほぼ無く、ネオユートピア45号では「(放送前で)一人称が不明だっため、適当に見出しをつけたって感じです」と推測しています。これは大山ドラとは無関係です。

わさドラで「おれ」。ただし特殊状況。

2009年9月11日放送のオリジナルアニメ「ドラえもんの長い一日」で

ドラ「野球はおれの大好きなスポーツだぜ!」

等、わさび声で「おれ」と言うドラのセリフが何回か出てきます。
これは実は22世紀の犯罪者ロボ、デンジャと入れかえロープで人格が入れ代わっている状態なので、通常のドラが言っているわけではありません。

半濁点の「ぽく」呼びのドラ

原作のごく初期の段階では、ドラの一人称が半濁点の「く」だった事があります。(小学二、三、四年生の初期数回)それなりに登場するので誤植ではなく意図的と思われます。この頃のドラは「だ行」が「ら行」になる舌足らずな話し方したりもするので、初期の出来損ない感の強いドラの演出だったのかもしれません。(河井質店さんに教えていただきました。ありがとうございます!)

また日テレ版ドラえもんの台本がオークションに出ていたのですが、第6話「キューピットで好き好き作戦の巻」のページが映っており、ドラえもんの一人称が「ぽく」と書かれている例があります。(他の話では濁点の「僕」なので色々と謎です。)

「おいら」呼びのドラ

日テレ版ドラえもんED「ドラえもんルンバ」の歌詞は「おいらツヨイ …ネコガタロボット」です。非常に珍しい「おいら」ドラえもんです。この作詞家横山陽一の別歌「あいしゅうのドラえもん」では「ネズミが苦手なだけど」になっているし、本編では「僕」なのでオイラだけ謎です。歌の語呂ですかね。

また脱線ですが原作「タヌ機」の回にはドラが「おいらのともだちゃポンポコポンのポン」と言いますが、これは「証城寺のたぬき囃子」の歌詞を歌っているだけですのでノーカウントですね。その前のセリフは「そしてぼくはタヌキだ。」と言っており、ぼく呼びを守っています。

終わりに

という事で外堀から消去法的に推測したものの、台本を見ていないので真実には到達できていません。なので
 ・ドラえもんが「おれ」と書いてある実例(当時の台本、原作のコマ、アニメ放送回)
 ・「こんにちは、ぼくドラえもんです」と発言したアニメ初期の実例(放送半年以内くらい)
などがあれば教えて下さい。情報をアップデートしていきたいと思います。

脚注

  1. 大山のぶ代「ぼく、ドラえもんでした。」の「本番収録スタート!」章より。 ↩︎
  2. 15話「決闘! のび太とジャイアンの巻」の台本より。 ↩︎
  3. 大山さんは2012年に認知症と診断されますが、この時期は2006年なのでまだそういった病状ではなく、単に古い記憶だからあいまいであるという程度と思われます。 ↩︎
  4. F先生が収録現場に来て「ドラってこういう声だったんですね」と発言した時期がドラ公式HPの発言ではパイロットフィルム完成時とされているけど、この本では放送開始後しばらくしてからとされてる等。 ↩︎
  5. F先生が収録現場に来たというのが公式HPではパイロットフィルム完成時、大山の自伝では放送開始後しばらくしてからとされていますが、ここでは第1回収録時になってたりします。
    ↩︎

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