「映画ドラえもん のび太の宇宙開拓史」は時間の流れが異なる遠い星との交流を描いた作品です。舞台期間が1年近く経過するというドラえもん映画としては珍しい構成ですが、その時間設定がよくよく考えると違和感ある部分があるのでそのまとめと考察したいと思います。
素直に見るとこんな時間の話。
作中の説明や流れを素直に読むと物語の作りとしては
・地球の1時間がコーヤコーヤ星では約1日に相当する。
・のび太達は毎日会いに行き、コーヤコーヤ星での約1年を通じた交流する。
という感じの時間設定で、またその1年の内容は
| 地球の日 | コーヤコーヤの季節 | 状況 |
|---|---|---|
| 1日目 | 冬直前(仮) | 宇宙空間なので季節は読めない。冬ごもりに備えた買い出しと想定。 |
| 2日目 | 冬明け(春の始まり) | 冬明けを告げる大洪水の日。洪水の後に春になる。 |
| 3,4日目 | 春~初夏 | 畑に種を撒く描写などある。 |
| 5,6日目 | 夏~秋頃 | 作物がほぼ育っている時期。 |
| 7日目 | 秋の終わり | 紅葉があり、動物たちは冬備えを始める。 |
| 8日目 | 冬直前(仮) | 地殻変動の影響で季節感は分かりにくい。雪の花が咲く。 |
という感じです。冬直前から始まり、次の冬直前で終わるというほぼ1年間の物語です。
話の意図としてはこのような感じで作られているのですが、微妙な矛盾もあるのでその編を詰めていきたいと思います。
設定上で気になるポイント
前提「地球の1時間=コーヤコーヤ1日」の推測が怪しい問題。
最初の違和感ですが、序盤にドラえもんが「地球の1時間がコーヤコーヤの約1日に相当する」と説明するのですが、この計算がちょっと怪しいです。
ドラがこの推測に至ったのは、コーヤコーヤで2日間過ごしてしまったのに地球に帰ってみたら(ママ曰く)2時間も経ってなかったという所から導いています。
しかしこの2日というのは「初日の夜に到着、翌日の夜に帰宅」というものなので、確かに2日(日を跨いでいる)だけど時間的には24時間くらいです。なので「地球の2時間=コーヤコーヤの1日」が正しい可能性もあり、こうなると計算が2倍ズレます。
ただ作品全体は地球で1日経過すると1ヶ月くらい経過する感じで描かれているので、やっぱり1時間=1日が正しいのでしょう。
この言葉を矛盾なく解釈するならこんな感じなのかなというのを考察すると
・ドラえもん達は日を跨いでコーヤコーヤ滞在したので焦って2日と認識したけど、冷静に考えると約24時間の事だった。
・のび太ママは「タケシさんが帰ってから2時間も経ってない」と言っているので2時間より短い。しかも出発前に地球の部屋でぼんやり過ごしてた時間も含んでいる。
→なので地球の部屋で40分過ごし、コーヤコーヤ滞在時間が24時間=1時間相当、合計1時間40分とかならばママの言う2時間弱と矛盾しない。
って感じにできそうです。という事でドラの論理的な導きは勘違いによるものなんだけど、結論である1時間=1日というのは偶然にも合っていた。という感じにはできそうです。
1年にするには日が足りない問題。
作中の地球での経過日数は、はっきり描かれているのは8日間(宇宙空間での出会い1日+コーヤコーヤ生活7日)です。1日目が冬ごもり前、8日目は次の冬直前ですのでほぼ1年の時間経過がありあます。
しかし24倍の時間の流れが違う世界で8日の出来事だと単純計算8✕24=192日(約6.4ヶ月月)となるので一年にはけっこう足りないです。
いくつか解釈を挙げます。
解釈1.時間ズレの比率は実際は24倍ではなかった(もっと長い)
地球1時間がコーヤコーヤの1日というのは推測であってきっちり24倍とは言ってないので、その編の比率をいじったら1年くらいにできるのではという解釈です。
ただ8日で1年経過させようとすると45倍くらいに設定する必要があり、さすがに1時間=1日の範囲を超えている感じです。
解釈2.のび太は毎日行かずに約15日かけた話だった。
24倍の時間差で1年の話にするには約15日必要になります。作中では8日分の地球生活だけが描かれますが、行かない日もあってそこは描かれず15日間の出来事だったとすれば合います。
ただのび太は2日目の帰りに「毎日向こうに行けばたっぷり遊べる」と言っているし、また1日行かない日を入れるだけでコーヤコーヤでは48日の間隔が空いてしまうので交流が弱くなります。なのでちょっと苦しい解釈です。
解釈3.作中で描かれてない日々があって、実際は約15日連続で会いに行った話だった。
これが一番可能性ある気がします。作中でクレムがのび太にあやとりを教えてもらったと言うセリフがありますが作中描写としては出てこないので、こういう描かれていない交流の日々がある事は想像できます。なのでこれが一番自然に飲み込めそうです。また後述の映画版ではこの解釈を補強する描写があります。
解釈4.コーヤコーヤの公転周期は地球より短くて、1年が6.4ヶ月くらいしかない。
1年の定義は天文学的には公転周期で決まるので、コーヤコーヤは地球とは異なるという解釈です。
のび太視点では数日の出来事であり1年というのは体感ではなく季節の変化で感じていますのでそこに気づかなくても違和感ありません。一方コーヤコーヤ星人もそもそもの1年感覚が短いなら自然にそう話すからこちらも違和感は無いです。ただ物語的なお約束感からは外れる感じがあるかなあーと思います。少なくとも1日の時間は地球と同じ感じで描かれているのだからそこだけ変えるのも強引かなと。
という事で各種解釈を考えましたが、一番しっくり来るのは解釈3かなと思っています。または3をベースにしつつ、解釈1をうっすら入れて、28倍で13日くらいの話と見なすなどのハイブリッドもできるかもしれません。
冬ごもり期間が短すぎる問題。
コーヤコーヤ星は冬に猛吹雪、冬の終わりに大洪水があり洪水後から春が始まるのでその間は地下生活(冬ごもり)をするという設定があります。その期間が短すぎる違和感があります。
ロップル君との最初の出会いは地球では夜中。出会いは宇宙空間(トカイトカイ星の買い物を終えてコーヤコーヤ星に帰る途中)です。この時点では冬ごもり前と考えるのが自然な状態です。
そして地球時間の翌日の昼に再度会いに行きますが、その時のコーヤコーヤは大洪水の日(冬ごもりの最終日)でした。地球時間で18時間くらいの間隔ですが、コーヤコーヤも約18日経過だとすると冬ごもり短くない?という感じはします。広めに解釈して24時間(24日)だとしても短い気が…。
解釈するなら
解釈1.実際にコーヤコーヤの冬は短い。
そのまま受け入れる解釈です。18日以内に極端に厳しい猛吹雪と洪水があるけど、その間だけ潜っていれば良いというものです。ただ一般的な冬の長さのイメージや、「長かった冬ごもり」「あやとり知ったから退屈しない」とかのセリフが出てくるのでそんなに短いものではなさそうな気がするので、ちょっと強引な解釈に思えます。
解釈2.実は冬ごもり中もトカイトカイには行っている。
作中でロップルは「週1回、トカイトカイに買い物に行っている」と言っているので、そのまま受け取れば冬ごもり中もトカイトカイには移動しているのではというものです。ただそんなに簡単にトカイトカイに行けるなら冬ごもりしなくても良い気がするし、冬明けに「外の空気はおいしい」と感動しているので外に全く出ていない印象です。通常時は週1で行くけど冬ごもり中は行けなくなると考える方が自然に思え、これも弱いと思います。
解釈3.冬ごもり後期だったから外出はできた。
冬ごもりの目的は、猛吹雪と冬明けの大洪水を避けるためと説明されています。
大洪水の日の時点ではすっかり雪も無い状態でした。なのでその前から吹雪のシーズンは既に終わっていたものと思われます。そう考えると大洪水18日前はすでに吹雪対策としての冬ごもりは終わっており、後は洪水対策のために潜っているに過ぎない。だからトカイトカイへの買い物とかはもう出来るようになっていた(冬ごもり期間だけど外出可能)という解釈です。
ただこれも「外の空気はおいしい」みたいにやっと外に出られた感があるのでそんな気軽に外出しているようには見えず、弱いです。
解釈4.初日だけ時間の歪みがブレている。
最初の出会いはワープ空間の故障直後だったし、超空間のねじれが色々と不安定で、基本の時間差(24倍)からずいぶんブレて100倍くらいになって地球の18時間がコーヤコーヤの数ヶ月に相当した。という感じの解釈です。ただ時差がブレるという設定は登場しないので拡大解釈気味です。
とかでしょうか。どれもちょっと強引めなので、作劇上の割り切りなのかなと思われます。
映画版ではどうなっていたか。
今までの内容は原作をベースに考察してきましたが、映画では少し異なる部分もあるので補足します。
1981年劇場版
原作と同じく明確な地球時間は8日です。しかし映画オリジナル描写で5日目と6日目の間に、クレムと宿題したりあやとりを教える日々…という感じのダイジェスト描写が挿入されます。これがあるので実際は8日以上の交流があったという解釈が自然にできます。また別れ際の最終日に雪が降る独自描写があるので、最終日は冬の始まりである事が明確です。
2009年新劇場版
最初の宇宙船での出会いの時に、買い物の内容が「春に撒く用の野菜や穀物の種」と明示されます。なので冬ごもり前に備える買い物途中と想定されます。
3日目に再訪した時「こっちでは1ヶ月近く経っている」という台詞が追加され、約24倍の時間差がある事を補強しています。
原作の5、6、7日目に相当する部分が、地球の生活を描かずにコーヤコーヤの連続イベントとして描かれます。コーヤコーヤの季節が秋に変わったりしているので実際はちょくちょく地球から行き来していたのを省略演出している感じです。
この星に移民してまだ7年という設定が加わりました。7年前が冒頭で描かれる移民開始(ロップル幼少期)なので、やはりコーヤコーヤの1年は地球とだいたい同じ365日くらいだと言えそうです。(コーヤコーヤ星人の成長速度が違うなら別ですが)。
という事で映画版を含めても、省略された日々があると解釈した方が自然なので難しく時空や天文をいじるよりは、描かれてないけど約15日の物語と見るのが自然そうです。
まとめ
という事でこの作品はちょっと時間軸に歪みがあるのですが、そもそもF先生もギチギチに固めたわけではなく、なんとなく成立してそう雰囲気で描いているのだと思います。
しかし深読み解釈として楽しむなら時差比率、描かれていない日の想定、公転周期などの天文的な値、コーヤコーヤの季節性などのパラメーターをいい感じにいじれば成り立つポイントはいくつかあるので、各人で納得できるバランスを見つけるのも楽しそうです。
個人的には色々考えて整理すると、物語の素直な読み取り「地球1時間=コーヤコーヤ1日、冬直前から次の冬までの1年弱の物語」というのを崩さずに解釈すると下記が自然かなと思います。
・地球1時間=コーヤコーヤ1日は正しい。ドラは勘違いから導いたけど、結果的には合っていた。
・コーヤコーヤの冬直前から次の冬までの1年近い話で、作中では8日しか描かれていないけど、実際は15日くらいの出来事だった。
・最初の冬ごもり前の出会いと翌日の冬明けの期間はやたら短い(約18日)。これだけ謎。
冬ごもり期間が短い問題だけは、ちょっと強引な解釈(時空のブレとか)をするしか方法がなさそうです。もっとスッキリできる解釈ができるといいのですが…また思いついたら追記したいと思います。

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