「ドラえもん のび太と空の理想郷(空のユートピア)」を見たネタバレあり感想です。
感想。良かった所。
今作は総評としては「パーフェクトではない作品。でも良かった。」です。まずは良かった所を挙げていきたいと思います。
出木杉から始まる、現実から地続きに移行するワクワク感
F先生原作の映画ドラえもんは、ファンタジックな異世界に行く時も科学的な説明や伝承を織り交ぜて、「そんな世界も現実の地続きに存在する」と思えるような導入が巧みです。
今作も、最初に出木杉が世界中の理想郷伝説を丁寧に説明し「これだけ目撃談があるならば何か実在するモデルがあるのでは」と現実感を持たせ、世界中の謎の月の目撃談(妙に年が具体的だったし世界中の実在記事なのでしょうか)をドラえもん達が実際に見に行くというのをテンポ良く進め、そのほとんどは見間違えだったがついに本当の空の理想郷を見つけるという段取りで到着します。この丁寧さはわさドラでは久しく見ていなかったパターンで、リメイク作ではけっこう省略されてきた箇所なのでこの導入のワクワクはすごく楽しめました。しかも「噂をちゃんと目で確かめる」というのが後半のテーマ要素につながっていると感じました。(考察で後述します)
今作のテーマ「個性と自己肯定」パーフェクトを望まず、啖呵を切るドラえもん。
今作のテーマは「個性と自己肯定」で、多様性を排除して均一な思想に染める事を打倒する話です。多様性、ダイバーシティという現代的なテーマをドラえもんでやるという面白い試みだと思いました。
その中でも良かったなと思うのは、ドラえもんが三賢人と互いの主張をぶつけ合う時に三賢人の「なぜパーフェクトになりたいと思わないのか!」という旨の問いに対してのドラえもんの返し
「これが『僕』だからだ!」
と啖呵を切る所です。個人的にこのシーンが今作で一番印象に残ったシーンです。
ジャイアンなどの他のキャラがパーフェクトでなくていい理由には「勇敢」みたいに具体的な理由を添えられているのですが、ドラえもんだけは理由なく僕は僕であるからパーフェクトでなくて良いという究極の自己肯定に満ちた台詞を言います。絶対の善など無く、個性ごとに良さがある。その大前提には自分自身を認められる事が大切だというメッセージと捉えました。
個人的にこの台詞は、のび太のひみつ道具博物館の最後にドラえもんがのび太に言った台詞「きみは、いいヤツだな」に通じる所があり好きです。こっちは他者肯定に溢れる台詞でした。
浴びると思想が画一になる「光」は、スマホや情報社会の比喩か
今作のもう一つのテーマは「自分で見て、自分で考える」だと思います。
パラダピアンライトという「光」が登場するのですが、加工された光という設定と、その光ばかり浴び続けていると自分で考えられなくなる、無批判に信じてしまうという点が、スマホ漬けや、1次情報を確認せず誰かの意図で作られた情報を盲信してしまう情報社会、フェイクニュース、陰謀論等のメタファーにも見えてきます。
対比するようにドラえもん達は序盤で謎の月の目撃情報についてタイム新聞の記事だけでは真偽を断定せず(嘘とも決め込まず、真実とも盲信しない)一つ一つ各時代に行き自分たちの目で確認するという段取りを丁寧すぎる描写で描いています。わざわざ「見間違えだった。でも真相はわかった」というのを何度も描いており「真実を見極める」という所に力点を置いているように見えます。そして正しい情報を仕入れると共に、「自分で考えるんだ」というソーニャの台詞などからも、情報社会との付き合い方と解釈できるようにも作られていると思いました。
惜しい所
今作は魅力的な所も多くありましたが、一方でここはちょっと惜しいなという所もありました。
授業パートは少し中だるみ。それがテーマ通りではあるのだけど。
中盤パラダピアでパーフェクト小学生を目指すのですが、授業を受ける日々が単調に描かれていて中だるみを感じました。
これは意図的なのだと思います。理想郷でのパーフェクトな暮らしというのは決められた通りの生活をこなすだけの世界で、そんなのは退屈で楽園でもなんでも無いという事を演出しているのだと思います。
とはいえ実際に視聴者まで退屈に感じるのはうまいとは言えず、退屈な世界を興味深く見せて欲しかった。と思います。
倒すテーマはいいけど、個性=悪い所まで許される に見える脚本は直したい
上では自己肯定するドラえもんが良いと書きましたが、同じシーンでもドラえもん以外のメンバーの描き方と、テーマの着地は気になりました。
今作では特にジャイアンとスネ夫が画一的な「良き人」にされてしまいます。確かに多様性を認めない世界は悪でしょう。しかし取り戻す個性を乱暴者や意地悪という部分にフォーカスしたのはうまくないと思います。心を取り戻したスネ夫は「僕は意地悪だからねー」とそこまで肯定してしまうのですが「洗脳時の方が良くないか?」と雑念を視聴者側に感じさせます。
これはジャイアンとスネ夫の欠点の着眼点を、負の側面が強い要素に設定した脚本がいけないと思っていて、例えばジャイアンのイヤな所を「歌」とかに設定していれば、それは短所と長所の混在した個性ですので最終的にそれを肯定して取り戻す流れにしても飲み込みやすかったのではと思います。(スネ夫なら臆病とか。)もうちょっと「見方によっては長所でもある」という個性に着眼させて取り戻させたくなるように運んだ方が上手かったかなと。
またのび太も当初は「パーフェクトになりたい=今より良くなりたい」と向上心を持っていたのに、いくらパラダピアがヤバい洗脳施設だったとしても、最終的に「今のままでいいや」と向上心まで破棄したような結論に行ってしまうというのも、なんだか極端な着地だなと思いました。
「画一的ないい子の押し付け」は倒すべきだけど対となるのは「特性を考慮して伸ばしてあげる事」であるべきで、無批判な許しや、向上心の放棄と解釈されかねない論理展開にはもう少しフォローが欲しかったです。
倒すべき思想はいいのに、守るべき思想があと一歩という感じです。
終わりに
今作を総評すると、「前半はワクワクに満ちた作品。テーマも現代的で面白く、単発のネタに満ちてるけど、中盤~後半の演出面とテーマの着地をもう少しうまくやってくれれば大化けしてたかも」という評価です。今回は「僕だからだ」と自己肯定するドラえもんがとても好きなシーンで、この作品だけが持つ魅力を「パーフェクトでなくてもそれぞれの良さがある」と受け入れたいと思います。十分楽しめましたので、この調子で来年以降も良いドラえもんに巡り会える事を楽しみにしています。
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