小説「ドン・キホーテ」は「おじいちゃんが風車と戦うやつ」くらいのイメージしか知られてないですが、結末まで簡単にまとめた要約が見当たらなかったのでまとめました。あと「ドン・キホーテみたいだ」と言われたら何を意味するのかも個人的にまとめました。
超要約
最初から結末まで書くとこんな感じ。また一般的な寓意解釈も。
補足
基本的には、ドタバタエンタメ作品
物語の大半は、主人公が世の中を全て悪い魔法使いなどの仕業と考えて行動する珍道中エピソードが続くエンタメ作品って感じでした。初心者に説明するなら「勘違いおじいちゃんのドタバタ喜劇」で、子供にも楽しめる内容です。
主人公は当時の流行ファンタジー小説になりきってきる
冒頭に読みふけっているのは「騎士道物語」という小説ジャンルで「高貴な騎士が悪の魔法使いやドラゴンを倒し姫を助ける」みたいな内容です。ドン・キホーテの舞台は現実の17世紀スペイン(発行当時の現代)なので当然魔法なんて無く騎士すら昔の存在なので騎士の格好しているだけで変人扱いです。
日本の同時代で例えるなら、戦国時代が終わってるのに江戸時代の村長が桃太郎とか読みすぎて「俺も甲冑着た侍になって鬼退治に行くぞ!」と思い込む感じでしょうか。
状況が中二病に似てるけど、中二病はフィクションと知っててなりきって悦に浸るのに対し、ドン・キホーテは完全に信じ切って行動している所が違います。
変人のままが良かった?
主人公の奇行を迷惑がりやめさせたいと考える人が大半だけど、破天荒さが話題となり後半には彼のファンも現われます(変人を面白がる感じ)。彼らは老人1人を常識人に戻すより話題の変人のままの方が価値があると考えます。
最終的には迷惑行動を放っておけない、正気に戻したいという男が善意からキホーテを止め珍道中は終わります。迷惑行動は止まったけど面白変人がいなくなった事を残念がる人も多くいて、またキホーテも正気に戻ったのにみるみる元気がなくなり死にます。治すはずがかえって死なせてしまった事から「彼のためにも世間のためにも変人のままの方がよかったのでは?」という問いを残す話です。
妄想には妄想をという終盤の対策
初期は周りの人は「あれは巨人じゃなくて風車だ」とか、妄想を正論で否定してやめさせようとしますがダメでした。そこでキホーテと同じ村の男サンソン・カラスコが考えた方法が、妄想に乗っかる形でライバル「銀月の騎士」を演じて、騎士道物語らしい決闘を申し込み敗者は故郷でおとなしくする事を約束させる事でした。キホーテは高貴な騎士だという妄想の中に生きているからこそ騎士の約束は守るという点をうまく使った作戦です。銀月の騎士が勝利しキホーテは約束通り旅をやめ作戦は成功。この「正論より、相手の土俵で勝負した方がうまくいく」は含蓄ありますね。
「ドン・キホーテのようだ」とはどんな意味か。5種。
普段の会話、映画などの創作作品で「まるでドン・キホーテ」等と言われる事がありますが、どういう意味かざっくり書きます。「妄想の巨人と老人の戦い、本人は真剣だが客観的には馬鹿みたい」の要素は良い意味、悪い意味の様々な比喩に使われ、大半は1の意味で使われるイメージですが、2,3の意味もそこそこ。4、5もあります。
1.悪い意味:勝ち目の無い戦いに挑む愚か者
風車との戦い、老人が槍一本で巨人(風車)に勝てるわけ無いのに戦いを挑んでしまう(そして負ける)という所から、冷静に周りが見えていない愚か者、勝てない相手に闇雲に挑んでしまう無謀者という意味で使われます。
映画、漫画とかでも使われます。
2.いい意味:常識に囚われず信念を貫き通す人
世直しという途方もない常識外れの大業のために何度やられても臆せず戦いを挑み続ける人。という面に着目して「常識や反対意見など気にせず、自分の信念を突き進むイノベーター」の意味にもなります。
スティーブ・ジョブズとかのイメージです。激安ストアのドン・キホーテもこの意味が由来です(常識に囚われない店舗を目指す)。
3.巨大な相手に戦いを挑む状態
「風車VS老人」という所からパワーバランスが全然違う状態の戦いを表現する時にも使います。例えば大手企業の支配する業界に参戦するベンチャー企業とかそういう状態の例えに使います。
4.無意味な事に労力を割く空回りの人。
キホーテは正義感溢れ行動力もありますが、まともな目的に使わなかった事が残念な人です。という事で「無意味な使命に労力を無駄使いしている状態」の意味で使われる事もあります。失敗確定のプロジェクトに参加とかです。
作者のセルバンテスは若い頃、スペイン最盛期に国の繁栄を信じ戦争参加、しかし途中で衰退が始まり無意味になったため「当時は信じて全力尽くしたが無駄だった」という思いをドン・キホーテに反映させたとも言われています。
5.虚構でもそれが生きがいになっている人
キホーテは初老にも関わらず騎士としての虚構の使命を信じる事で旅の最中は元気いっぱいに行動します。しかし終盤、妄想が解けると生きがいを失ったかのように衰弱死します。
この点に着目して「虚構でもそれが生きがいとなり元気の源になっている人」という意味で使われる事もあります。アイドルのガチ恋勢が客観的には叶わぬ夢でも本人の中では本気で、資金確保のために働く原動力になっている状態とかそういう感じの使い方です。
なんで最後まで書いている例が少ないのか。長いのと、結末はさみしい。
ドン・キホーテは世界一売れている小説らしいですが、その割には全体を知っている人がいないなあという感じです。有名な「風車と戦う」は前半エピソードの一つって感じで、重要シーンではありません。頭から結末まで要約した絵本とか見ないですが、読むと確かにオチまで説明しないかもなという感じがしました。
最終目標が無い。
ドン・キホーテの旅の理由は「魔物退治して世直ししたい」ですが本当に魔王がいる訳では無いので、これをやれば終わりというゴールが無いです。狂人の珍道中を1話完結的に楽しむのがメインで、結末を楽しみに読む感じではないです。
なのでドン・キホーテってどんな話?と聞かれてもオチよりは途中の有名エピソード紹介になるなあと。西遊記なら天竺到着という最終目的を説明できるけど、一休さんは最終回は重要ではないから、有名話の紹介だけになる。みたいな感じです。
長いのと、短編エピソード集っぽくて圧縮しにくい
日本語版だと約2500ページ。指輪物語が約3000ページなのでそういう規模感です。しかも1話完結集みたいな構成だから要約時は全体圧縮ではなく主要エピソードの抜粋みたいな対応になりがちです。
結末がさみしい(敗北、自己否定、死亡エンド)
クライマックスはドン・キホーテを正気に戻したい男と騎士としての決闘をしてキホーテは負けます。負けた事で夢から覚めたように正気に戻ると「今まで迷惑かけた、すまない」という感じで今までの自分を否定しながら死にます。改心エンドとも言えますが、ドン・キホーテの魅力は「人から馬鹿にされても自分の信念を貫く人」だし騎士道に準ずる高潔な部分もあるのにその辺含めて自己否定的な結末は現代的な感覚では「めでたし」ではないなあと、積極的にオチを話したくなる感じではないです。
歴史的には名著扱い。
ドン・キホーテは世界一売れた小説と言われたり、世界最高の文学で1位になったり、文豪ドストエフスキーが絶賛していたりと、基本的にはすごい作品で、この記事よりずっと深い読み解きや説明はいくらでもあります。なので素人の自分のまとめは表面的な内容なのですが、全然知らなかった人の立場の感想として役に立てばと言う感じです。
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