「ジャイアン誕生日はアシスタント由来説」について、信憑性を考えてみた。

(前記事「ジャイアンの本名はアシスタント由来説」の続きです。順番に読んだ方が分かり易いです)
ジャイアンの誕生日は6月15日ですが、この設定には元ネタがあるという説があり、藤子スタジオの元アシえびはら武司先生が「僕の誕生日6月5日を元にとったんです」旨の発言を何度かしています。本人が書籍やインタビューなどで発言しているためwikipedia等でも出典元として使われて、少し知られた裏話と言う感じで扱われています。しかしこの発言には少し疑問点などもあり、はたしてどれくらい信憑性のある情報なのかというのを検証してみたいと思います。

前置き

えびはら先生はドラえもん初期にF先生の隣で仕事をした貴重な情報に触れた方で、また藤子両先生を大変尊敬されている事は間違いありません。そして社交的でよく話す楽しい方です(本人のyoutubeとか)。ただその持ち前のサービス精神が過ぎてけっこう大げさに話す事もよく見られるので、この発言が盛られた話なのか、ほぼ事実なのかを読み解きたいという意図になります。

誕生日の元ネタ説の描かれ方

えびはら先生元ネタ説は、本人のアシスタント時代を振り返った4コママンガ「まいっちんぐマンガ道」内に下記のように登場します。

6月5日は私(えびはら)のたん生日です 半分ジョーダンで大ゲサに祝ってもらった事がありました
その後ジャイアンのたん生日が6月15日になっていました

えびはら武司 → 剛田たけし
6月5日 → 6月15日

えびはら「まだ偶然と言いはるんですか~?」
F先生「たまたまです~」
藤本先生に限らずマンガ家が周りの身近な人をヒントにするというのはよくある事なので許しま~す

引用元:えびはら武司藤子スタジオアシスタント日記まいっちんぐマンガ道「たん生日の偶然」

真面目なインタビューではなく、あくまで4コママンガのエンタメ作品で、えびはら先生本人も「もしかしたらこうだったのかももしれません。私はこう信じてます」という解釈として面白おかしく紹介しています。

一方、真面目なニュースサイトのインタビューでも同様の発言をしています。↓

(えびはら)ストーリーに直接関係ない属性は、勝手にやってという感じ。「ジャイアン」の本名「タケシ」も僕の名前。最初ジャイアンはジャイアンで通してた。名前をつけて同名の子がいじめられたらかわいそうだから、と。でもそのうち、「何でジャイアンだけ名前がないんですか?」って子供たちから投書が来た。それで急きょ、隣で手伝ってた僕の名前と誕生日が使われました。

引用元:東洋経済ONLINE「弟子が語るドラえもんの知られざる”黒歴史”」(2019年2月3日)

ここでは結構ハッキリと自分が由来だと言っています。長いインタビューなので端的に話しただけかもしれませんが、本名も同日に決まったかのような言い方です。

このように公のメディアで幾度も話しているのですが、どうも想像の域の話なのかなという部分が多く見られます。それらについて紐解いていきたいと思います。

誕生日について気になる箇所

(疑問点)そもそも10日ズレている。

ジャイアンの誕生日は6月15日。えびはら先生の誕生日は6月5日。10日ズレています。6と5が合っている、という事なのでしょうが元ネタと主張するには苦しいのではと思えます。

(疑問点)F先生は常に季節に応じたマンガを描く。

ドラえもんは月刊連載でした。F先生は原則その号に合う季節感の話を描きます。(1月号なら正月、5月なら端午の節句のように。冬の号に夏の話を描くような事は原則しません。)
ジャイアン誕生日の初登場は1980年6月号「ジャイアンのたん生日」の回です。6月号の連載タイミングで誕生日ネタが浮かんだので連載号に合わせた季節感にするためにジャイアンの誕生日も成り行きで6月にしたと考えた方が自然です。事実、のび太の誕生日8月7日も初登場回が8月号でした。こうなると6月に決まった理由は号数が由来で、周りの人から取る必要はないわけです。せいぜい「日」の部分は適当に決める必要があるわけですが、その「日」の部分がそもそもジャイアンとえびはら先生で異なるのだから、元ネタとは言い難いのではと思えます。

(セーフ)既に退社後の出来事だけど、その頃もいた様子。

ジャイアン誕生日の初登場は1980年6月号です。えびはら先生がアシスタントとして藤子スタジオに所属していたのは1973年~1975年ですので、退社5年後に描かれた話です。て事はその場にいないって事でやっぱり違う?
…ところがそうでもないようで、えびはら先生は退社後も藤子スタジオからちょくちょく単発の仕事依頼や手伝いがあったそうで、「まいっちんぐマンガ道:名作秘話編」によるとドラえもんのび太の恐竜の執筆手伝いをした(1980年前半)とかスターウォーズ帝国の逆襲の試写会チケットをもらった帰りに手伝いをした(1980年6月28公開だからちょい前?)というエピソードも登場するので、1980年6月号の時点でも十分な接点があったと考えられます。なので、1980年時点でもそばにいた。というのはありうる話です。

(推測)本当にF先生に聞いたのかは怪しい。

マンガの中では「本名も誕生日の事もF先生に直接聞いた」となってますが、本名の方は別のyoutubeインタビューで「F先生に直接聞いたことは無い」と発言しております。なので誕生日の方もマンガ的な誇張であって、実際は聞いてないのではないか…という疑惑は残ります。

全体的な、えびはら先生の証言の距離感。

セットで話す「本名たけし=えびはら先生説」ががちょっと怪しい。

えびはら先生が誕生日元ネタ説を話す時、セットで「本名たけしも自分から取った」も話す事が多いのですが、そのジャイアンの本名説にはけっこう矛盾点が見つかり、どうも真実には思えない所があります。(詳細は別記事にまとめています)

という事で、発言全体を字面通り受け取らない方が良い感じがあり、誕生日の方も信憑性について慎重になった方がいいのかなと思われます。

名前と誕生日の初登場は5~8年離れている。

先のインタビューでは「必要に迫られて急きょえびはらの名前と誕生日を使った」とありますが、「たけし」の初登場は1972年6月号、フルネーム剛田武の初登場は1975年3月号。誕生日の初登場は1980年6月号です。5~8年も離れており、一緒に決めたという事実は全く無いです。

まいっちんぐマンガ道は「こう信じている」という盛り描写多め。

そもそもまいっちんぐマンガ道はエッセイではあるもののエンタメ4コマ漫画であり、真面目な証言集というものではありません。漫画の面白さを優先するために全体的に盛っている感じがあり、ジャイアンネタ以外にも「えびはら先生は実はこうなのではと思った。F先生に聞いたらはぐらかした。だからきっと本当だったと私は信じています」というパターンで描かれるエピソードが多数登場します。(エスパー魔美のお色気路線はえびはら先生の代表作まいっちんぐマチコ先生が影響を与えた等)なので確実に漫画エンタメ補正は含まれています。

けっこう二転三転する証言のディティール

youtubeでは「マンガでは高校三年の8月にF先生に初めて会ったと書いたけど、実は高校二年の8月に会った。」旨の発言をしていたり、発言のタイミングよってディティールが結構違います。「実はマンガではこう描いたんですけど、事実はちょっと違いまして」みたいな発言もちょくちょくあって、やはり漫画は様々な理由で真実をそのまま描けていない。という事はあるようです。

などなど、この辺の発言は真実通り話しているのではなく、いくらか差し引いて聞く必要があるんだろうなという感じがあります。

まとめ

という事で、えびはら先生の発言があり、誕生日が初登場したタイミングに立ち会っていた可能性はあるものの、「F先生に直接聞いたかは信憑性低い」「セットで話す本名説も信憑性低い」という証言を消極的に判断するような要素と、「そもそも6月号だから6月誕生になったのでは」といった別のもっともらしい理由がある事などを考えると、えびはら先生が思い込んでるだけの可能性が高いのでは…と個人的には推測します。

からとはいっても断定はできないので、今回並べた状況証拠から皆さんそれぞれの解を見出して頂けたらと思います。

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