「のび太のくせに」は誰が起源?ジャイアン声優起源説は誤解があるのでまとめてみた。

有名なセリフ「のび太のくせに(生意気だ)」ジャイアンやスネ夫が良く言うセリフですが、これを発案したという証言が複数人存在します(ジャイアン役たてかべ和也、スネ夫役肝付兼太)。真実は何なのか。初めて登場した箇所を調査、また証言についても考察してみました。

まずは結論。

結論は「のび太のくせに」のフレーズ発明者は藤子・F・不二雄。
一方、ジャイアン声優とスネ夫声優が発案という証言も確かに存在します。しかし事実を並べると原作が先で、声優は発案ではなく定番化させた存在と思われます。

初出は原作、アニメ放送以前から存在。

原作での「のび太のくせに」をまとめたリストが有名なドラえもんファンのサイトにあるので参考にさせてもらうと、初出は1977年4月号「人生やりなおし機」です。初の「のび太のくせに」発言はスネ夫、ジャイアン同時で、一コマ差でスネ夫が最初です↓。

スネ夫「のび太のくせに、漢字をかけるなんて。」
ジャイアン「なまいきだい。のび太のくせに。」

引用元:小学4年生1977年4月号「人生やりなおし機」

1978年7月「空であそんじゃあぶないよ」にも「のび太のくせに」登場。これらはアニメ大山ドラの初回放送(1979年4月8日)より前です。この事実から、「のび太のくせに」の初登場はF先生原作である事は確定的です。その後も原作には頻繁に登場します。

ジャイアン役が生み出したという発言

ジャイアン役のたてかべ和也さんが「のび太のくせに」の発案者だと言う証言は確か存在します。大山のぶ代さんの証言と言う形で何度も記事になっています。書籍などの公式な情報としては下記があります。

「ねえジャイアン、その“バッキャロー”や“ぶんなぐってやる”はやめたほうがいいと思うわ」
(中略)
こんなことを言う女性陣に、気の弱いジャイアン役のたてかべ和也さんは、
「そう言われても…俺としては困っちゃうんだよな。だって、台本にも書いてあるしサ他にどんな言葉もってくりゃいいのか…」
(中略)
こんな会話のあと、カベさんことたてかべさんは、
「コノコノ…待てえ…、エーイコノ、のび太ァー」
といろいろ苦しんでセリフを言っていました。そのうちカベさんは、
「コノコノ“のび太のくせにィ~”」という素敵な言葉を見つけ、それからは一度もバッキャローとは言わずにジャイアンを演じ通しました。よ(笑)。

引用元:大山のぶ代「ぼく、ドラえもんでした。 涙と笑いの26年うちあけ話」(2006年05月25日発売)

本の出版時のインタビューにもあります。

大山さん:ジャイアン(たてかべ和也さん)は「バッキャロー」っていわないように、苦心の末に「のび太のくせに~」っていうセリフを作り出したんだけど

引用元:楽天ブックス 著者インタビュー「大山のぶ代さん」

またこのサイトの記録を参考にさせてもらうと、週間アスキーのインタビューでさらに早い時期にも発言しているようです。(雑誌原本は未確認)

大山:だから、ドラえもんとのび太の初対面のときも、「やあ、オマエがのび太か」なんて、絶対に言わないはずだと思ったの。
進藤:最初の台本では、セリフはそうなっていたんですか。
大山:そう。でも私は「ドラえもんは、こんなこと言わない」と思って、「こんにちは、ぼく、ドラえもんです」と言ったんです。
(中略)
大山:ほかの声優さんにも、きちんとした言葉をつかいましょうよと言っていたんだけど、困ったのがジャイアンね。「てめえ、このやろ、バカヤロ」って、いつものび太くんを追っかけ回さなきゃいけないから(笑)。
進藤:アハハ、確かに!
大山:私がそんな言葉はダメって言っちゃったから、ジャイアンも困ったのね(笑)。それまでは「待てーっ」とか「ウォーッ」とか言っていたのに、あるときから「このー、のび太のくせに!」って言いはじめたの。
進藤:悪口なのかどうなのか、わかるような、わからないような(笑)。
大山:でも、言われたのび太がエーンと泣けば、これは罵倒の言葉でしょ。それでジャイアンはその後ずっと「バカヤロー」を使わず、「のび太のくせに!」だけできたのよ(笑)

引用元:週刊アスキー2005.10.14号「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」

たてかべ和也本人が言った証言は見つけておらず、大山のぶ代の伝聞のみです。

スネ夫役が起源と言う発言もある。

スネ夫役の肝付兼太さんも「のび太のくせに」の発案者だという発言を残しています。
ジャイアン役声優たてかべ和也さんが亡くなった時のインタビューです。

肝付さんは『ジャイアンと一緒にのび太をいじめるときに、僕がアドリブで「のび太のくせに生意気だ」と言ったんです。これはアドリブだったんですけど、言った時に金魚鉢(アフレコスタジオ内)が賑やかになりましてね。「余計なことを言って後で怒られるんじゃないかな」と思ったんです。そうしたら文芸の方もその後、ちゃんとセリフを(劇中に)何度も入れていて』と、ハッキリ明言してました」
(中略)
肝付さんは「街を歩いていた時に、若い方のTシャツに『のび太のくせに生意気だ』と入っていたんですが、あれは僕の著作権なんですよ」と、ジョークを交えて報道陣を沸かせ(後略)

引用元:「のび太のくせに生意気だ」アニメ『ドラえもん』で言い出したのは――声優・たてかべ和也の通夜で明かされたエピソード」

2011年7月ににテレビ出演した時も発言があったようです↓。

今だから話せる声優裏話を人気声優に聞く。
肝付兼太がスネオの「のび太のくせに生意気だ」というセリフはアドリブだったと話す。

引用元:「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」2011年7月3日放送内容の説明より。

NHKラジオ「ラジオ深夜便」2016年11月6日にも発言が確認されています。これは亡くなる一ヶ月前の9月19日収録のもので、F先生が収録現場にいたという新情報まで登場しています。

 スネ夫の有名なセリフ「のび太のくせに生意気だ!」は「考えて考えて出たわけではなく、ヒュッと出たんですよね。ちょうど(藤子不二雄)先生がいらしていて、手を叩いて喜んでくれた。(中略)とアドリブだったという“秘話”を明かした。

引用元:「肝付兼太さん“最後の肉声”放送 声優人生を回顧 最後はじゃじゃ丸の声」

ラジオも聞きましたが、自ら言ったというよりは司会が事前に用意していた「のび太のくせには肝付さんのアドリブなんですよね」というフリに回答した感じでした。

という事で、本人の発言が複数回残っています。

アニメでも「人生やりなおし機」が初登場。

1979年6月放送「人生やりなおし機」がアニメでの「のび太のくせに」初登場回です。つまり原作初登場回と同じです。

スネ夫「のび太のくせに漢字書けるなんて!」
ジャイアン「のび太のくせになまいきだ(い)。いじめるじょ」

引用元:1979年6月22日放送ドラえもん「人生やりなおし機」

原作と概ね同じセリフで、素直に台本化したものと思われます。という事で「のび太のくせに」は普通に台本通りに声優が読み上げた事になります。

アレンジ回がどこかにあるはず。でも探すの大変でいまだ見つからず。

という事で、原作が最初だしアニメでも初登場は原作通りのセリフとして出ているので発案者が声優ではない事は間違いないです。しかし証言の感じからするとアドリブとして拝借利用した回というのがどこかにあるはずで、それを調べたい所です。とりあえず大山ドラの最初の100話を見たのですが71話「人生やりなおし機」以外で登場するシーンは見つからず。自分も全話見ているわけではないのでこれ以降の調査はまだ不十分の状態です。せめて最初に登場したアレンジがスネ夫かジャイアンかは知りたい所です。

なぜそのような誤解が生まれたのか(仮説)

本人たちが言っているのだから全くのデタラメではないのでしょうが、事実とは異なるので何らかの記憶違いが起きているのだと思います。仮説ですがこんな感じならという事を書いてみます。

スネ夫声優説は、「アドリブで使ったのが自分」という程度の意味で発言。

肝付兼太が生み出したという説は、「アドリブで「(以前の話の台本にあった)のび太のくせに」のワードを当てはめたのは自分」と言う意味合いで発言したのだとしたら辻褄は合います。0から創作した人ではないのですが、なにせ70歳代の頃に約30年前の思い出を話しているのですから、記憶もあいまいな中で自身が生み出したと勘違いしていてもおかしくはないです。
F先生がその場にいて喜んだという証言ですが、これが事実であったとしても、あくまで過去ネタをうまく引っ張ってきたのを喜んだのであって、新ワード誕生を喜んだわけでは無いとしたら特におかしくはありません。

ジャイアン声優説は、大山のぶ代の勘違いかも。

たてかべ和也が生み出した説は、大山のぶ代の思い出話と言う形でのみ登場します。しかも話の流れは「大山がドラえもんの荒い言葉遣いを修正した。その方針を皆にも伝えたら、たてかべは「のび太のくせ」を言うようになった」という感じです。あくまで大山中心に全員の言葉遣いを直したという趣旨です。その文脈の場合、スネ夫よりジャイアンの方が暴言が多いからそっちの修正の時に言い始めたんだっけな?という勘違いでそういう証言になってしまったのではないか。という仮説は成り立ちそうです。

まとめ。事実と推測仮説。

あくまで予想ですが、事実をつなぎ合わせるとこんな感じだったのかなと思います。

時期事実推測
1977年4月号F先生が原作「人生やりなおし機」で「のび太のくせに」フレーズを発明。以後ちょくちょく使う。
1979年6月22日アニメ「人生やりなおし機」にて原作に沿った台本通り「のび太のくせに」を収録。肝付、たてかべ両名の記憶に残る。
???アニメのどこかの話で声優が台本と異なるタイミングで「のび太のくせに」を使用。大山を中心に言葉遣いの台本アレンジを検討。その際に今までの演じた記憶の引き出しから「のび太のくせに」を思い出しアドリブで差し替える。この記憶が「のび太のくせに」を自分達で生み出したというものに変化。
2005年以降大山のぶ代が書籍などで「のび太のくせに」を編み出したのはたてかべのアドリブだと紹介。「汚い言葉使いを直した」というエピソードとして紹介する文脈上、スネ夫よりジャイアンの方が言葉が汚いのでジャイアンが差し替えをしたと記憶違い。
2011年以降肝付兼太はインタビュー等で「のび太のくせに」をアドリブで最初に言ったのは自分というエピソードを紹介。アドリブで最初に使い始めたというのは事実の可能性大。「あれは僕の著作権」はジョークとして言っている程度の意図で言ったか記憶違い。

こんな感じなら辻褄は合うのかなと思っています。ただ仮説です。

未調査の箇所、他の可能性。

かなーり可能性が低いのですが、自分が調べきれてないため下記のような可能性もあるにはあります。

・肝付兼太が日テレ版ドラえもん(1973年4月〜9月)でジャイアン役をやっていたので、そこで「のび太のくせに」をアドリブ発言(発明)し、それをF先生が見て原作に逆輸入した可能性。私は日テレドラを見た事が無いので明確な否定はできませんが、これだと大山のぶ代がその場にいないという矛盾と、そもそも言葉遣いを直そうという人がいないのでありえないとは思っています。

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