ドラえもんレギュラー達の誕生日が2ヶ月集中で決まっている件について考えてみる。

ドラえもんレギュラーキャラ達の誕生日がどう決まってきたかまとめた記事を描いたのですが、その時に興味深い事に気づきました。ジャイアン、スネ夫、しずかの誕生日は原作で直接描かれたキャラと外伝的に設定されたキャラに分かれるのですが、その2つは1ヶ月差しかなくすごく近接しているという事です。ここに何か関係性があるのかなあと推測してみたという記事です。

誕生日決定が集中する2ヶ月(4ヶ月)について図解

まず前提として、ドラキャラクター達の誕生日設定のまとめです↓。ジャイアンは原作漫画に登場した設定なのに対し、しずかスネ夫は外伝的な場所で決まっています。そのためかあまり有名にならず後年に設定変更もされています。

その中で、ジャイアンとしずかスネ夫の誕生日の部分に注目して見てみると、実はこれらは1ヶ月差のタイミングで決まっている事がわかります↓。さらにその2ヶ月には当時並行連載していた「ドラえもん百科」にも再登場します。

これほどまでに隣接して誕生日設定が登場した事が偶然なのか、それとも意図があったのか読み解きたいと思います。

なぜなに新ひみつ50の設定は誰が考えたのか?

この単発企画「なぜなに新ひみつ50」を描いたのは監修:藤子不二雄・カット:金田エイジです。誰がこの設定を考えたのでしょうか?

監修:藤子不二雄とはあるけれど…
監修:藤子不二雄とはあります。ではF先生が考えた1という事でしょうか。しかし当時は超多忙でこういう(自分で絵を描かないような)特集にまで手を伸ばす事は少ないです。実質的には著作者くらいの意味でほとんど関わってないか、最終的なチェックだけして明確なNG以外は通した。くらいの扱いだった可能性は高いです。

金田エイジとも考えにくい
絵を描いた金田エイジ氏が設定も考えたのでしょうか。金田エイジ氏の情報が少なく何者か謎ですが、可能性が高いのは藤子スタジオに所属していたアシスタント「金田永岩」の変名ではと思われます。金田永岩氏は1975年4月に藤子スタジオを退社しています。2 が、藤子スタジオは退社したメンバーにもカットを描く依頼などをしていたそうなので、まさにこういう仕事をしていた可能性は高いです。ただそうなるとスタジオに一緒にいる距離感でもないので設定まで任されるとは考えにくく、絵だけ頼まれた感じがあります。(これ以外にこの人の名前が全然出てこないのも、設定を任される存在には思えない…。)

可能性が高いのは方倉陽二か。
この設定を考えたのは元チーフアシスタント方倉陽二先生の可能性が高いと思われます。上図表のように、ちょうどその時期は読者の質問に答える形でドラえもんの秘密を紹介する「ドラえもん百科」が同コロコロ内に連載していました。これはF先生から設定関係を一任されていた方倉陽二先生が描いていた半公式漫画で、毎月様々なドラえもん達の設定を紹介しています。「新ひみつ50」の質問と被っている部分もあります。さらにこの「なぜなに新ひみつ50」のQ21「ドラの赤外線アイは使う事があるの?」の回答は「今月のドラ百科を見てくれ」となっており、ドラえもん百科内で赤外線アイを使っているドラえもんのシーンが登場するといった連動する仕掛けもあり、両方の内容を把握して描けている事を考えると可能性は高いと思われます。

さらに2ヶ月後にドラえもん百科にも登場。

1980年6月、7月に登場した誕生日ですが、2ヶ月後の9月号に「ドラえもん百科」に再掲載されます。ここではメインキャラ(ドラ、ドラミ、のび太、ジャイアン、しずか、スネ夫)の誕生日を全て紹介しています。この話はドラえもんの誕生日がメインの話で、誕生日と同じ9月号というタイミングに合わせて描いた話と想像されます。
なのでもしかしたら方倉先生的にはいつか誕生日に関するひみつ紹介をしようと考えていて、やるならドラえもんの誕生月に合わせてやろうと仕込み始めていた…という可能性はあるのかもしれません。

F先生の関与について、こんな可能性もある?

という事で、「新ひみつ50」に初めて登場するスネしず誕生日設定は方倉先生が中心にいたものなのではないか?と想像しているのですが、一方で同時期にジャイアンの誕生日が原作登場している事を考えると、原作者関与の可能性としては色々考えられます。

パターン1:F先生がジャイアン誕生日を作った事で、他のも決めようと方倉先生がフォロー。

F先生はたまたま1980年6月号にジャイアン誕生日の話を考え誕生日を設定した。その流れで方倉先生が「そういやしずかスネ夫がまだ未決定だったからそれらも決めたら百科に使えるな」とひらめき、さっそく翌月の新ひみつ50やドラえもん百科のネタとしてスネしずの誕生日を新設した。

パターン2:方倉先生が誕生日設定の企画を進めてたら、F先生が誕生日話をひらめいてジャイアンが決まる。

読者はがきで「キャラ達の誕生日は何ですか?」が溜まっていたので方倉先生はドラえもん百科などで誕生日紹介の回をいつかやろうとしていた。(どうせならドラに合わせて9月号にやろうと溜めていた)そこで誕生日設定に関する相談などを事前にしていたら、「そういや誕生日の話っておもしろそうだな」とF先生がひらめき、ジャイアン誕生日回をすぐに描いた。6月号の時にひらめいたから6月誕生日に決まった。残りは方倉氏に任せた。

まとめ

という事で、真実はわからないものの隣接して誕生日が一気に決まっている事には何かしら影響し合った事があるのではないかと考えが巡ります。
そしてもし、パターン2みたいな形で決まって方倉先生の「誕生日こんなのどうでしょう?』に対してF先生が「いいんじゃない?あとジャイアンは次の話でやるから6月にするね」みたいな感じでポンポン決まってたのだとしたら、しずかとスネ夫の誕生日もFチェック下にある設定(今の新設定と同じくらいの確認レベル)と言えるのかもしれません。
惜しいのは、新ひみつ50も特集ページ止まりで、そしてドラえもん百科も該当回が単行本未収録だったため、雑誌にそれぞれ1回載ったきりの幻の設定となってしまった事です。F先生が後年に再設定する事になったものの詳細な日まで決めなかったため誕生月というモヤっとしたものになってしまった。としたら残念な事ですね。
この辺、もう関係者がほとんど存命ではないので(F先生、方倉先生も亡くなられ、金田氏もえびはら武司先生のyoutubeによるともう亡くなられているようです)本当の所はもう分かりませんが、とても気になる所です。

注釈

  1. 当時はF先生とA先生二人合わせて藤子不二雄でしたが、原則個別に作品を描いていましたのでこういう特集みたいなものであってもドラえもんである以上、F先生だけが監修者と考えてほぼ間違いありません。 ↩︎
  2. 同時期に藤子スタジオでアシスタントをしていたえびはら武司のエッセイ漫画「まいっちんぐマンガ道」の中にK田永岩という名前で登場しますが金田永岩氏の事で間違いありません。その漫画内の年表によると1975年4月に藤子スタジオを退社したとあり、その後上野公園の売店で働くけど3日でやめたという情報が載っています) ↩︎

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