映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城のネタバレあり感想です。
総評
今作の総評は「原作を現代にやるための各種テキオーをした優等生的リメイク。バギーちゃんの再解釈がお見事。最適化の副作用、エモーションが薄口な部分も。」です。2回目の鑑賞がより楽しめました。良かった所、気になった所、両面の感想を書いていきます。
良かった所
バギーちゃんの現代的な再解釈(人の心を学ぶ無垢な機械)
今作の主軸の大きな改変はバギーちゃんの性格に関する部分で、上手くいってました。
原作は性格に癖のある機械だけど大切なしずかさんのためなら命を張るという感じで、静香への愛情面が強いキャラクターでした。
今作では人の心を学ぶ前の無垢な存在という感じになり、性格が悪いのではなく合理しか知らない(命令実行だけを期待されてきた)人工知能ゆえにすれ違いが起きるという感じです。1
今作のバギーはのび太達と触れ合う事で人間的な感情に興味を持ち、対話や経験で学ぼうとし続けます。
・のび太の「友達」スネ夫の「気分」発言から人間的な感情に興味を持つ。
・しずかちゃんとの関係で、いたわりの気持ちを学ぶ。
・ジャイアンがエルを助けに飛び出す様を見て、命を顧みない行動を知る。
・のび太との対話で「正解(合理的な判断)」と「正しい(心に従う事)」は違うと学ぶ。
これらが積み重なり、最終的に自己防衛プログラムを超えて「正しい」と判断する行動を取るという、皆との交流によって機械が心に近いものを持つ物語に再構成されていました。これは一人の少女を救う以上に普遍的な、現代的に意義深い設定になったと思います。2
旧作では男性声優だったのを女性声優にした事も、恋愛的とは異なる普遍的な感情の印象にする事に貢献していると思います。
バギーちゃんの名前の再解釈「バグみたい」
今作バギーちゃんは様々な経験を経て「正解」と「正しい」が違うという人の心を自分なりに考えた結果、それは「バグみたい」という理解に至ります。つまり合理を超えた人間の心≒機械のバグです。
そして最後、バギーは合理を超えて正しいと信じる行動をとりポセイドンに飛び込む間際に「バグみたい」という言葉を思い返します。これはつまり「buggy(バグみたい=人間の心相当を持った者)」という意味を込めたのだと思います。オフロードカーという意味だけでなくもう一つ意味を重ねた演出、これは本当に美しいですね!お見事です。
エルも「硬直した合理との間に揺らぐ者」として深堀り。
原作エルは人間性の深堀りは少なく、案内人と共闘者という感じでした。
今作の彼は古い法律や職務という、硬直した合理性と心の間で葛藤する人物として描かれます。
倒れたジャイスネを見捨てた方がムー連邦の立場的には適切だがアダプ灯で助けてしまったり、ドラ達の脱走時、職務としての追跡義務と死刑にさせたくない気持ちの板挟みでどうしたら良いのか迷ったりします。
「バギーは人工知能の合理と心で揺れ動く」「エルは法律や職務の合理と心で揺れ動く」という、対象は違うけど葛藤は同じという鏡合わせの存在にしたのは上手いです。
時代的配慮や細かな課題の適応。アダプ灯はお見事。
原作のちょっとした穴、時代的配慮などに各種適応して完成度を高めてました。
| 原作の時代的課題、細かな指摘 | 今作の対応 |
|---|---|
| 鬼核弾が核ミサイル相当、アトランチスは放射能汚染地域という設定 | 地球を滅ぼす規模の爆弾、大爆発で滅びた場所という形に留める。 |
| 海底人がなぜテキオー灯という名の道具を持っている? | 海底人のはアダプ灯に変更。 |
| 脱走やアトランチス行くのにどこでもドア使えば良いのでは? | どこでもドアは大イカに破壊される。 |
| 「カビの生えた法律」って、海にカビは一般的ではないのでは? | 「牡蠣殻まみれの法律」に変更。 |
| 水中でトイレは混ざるのに、涙は落ちるのか? | 水に溶け込むような涙に変更。 |
| あのネジ、どうやってバギーの物と判断したのか? | 特別な印を入れたネジにして明確にする。 |
特にムー連邦のテキオー灯相当をアダプ灯にしたのは上手いですね。
原作では両方ともテキオー灯と呼ばれていましたが、バギーが海底人の言葉を翻訳していたので本来の名前は違うのだろうとは示唆されてました。今作のネーミングなら「アダプト(Adapt)=適応」だから、アダプ灯を翻訳すればテキオー灯だよなという感じでしっくり来るものになりました。F作品ぽいダジャレネーミングの上手さもあります。
気になった所
今作は原作の何かを修正しようとした事の副作用、裏目に出た部分はそこそこあります。
全体的に淡々とした進行演出
原作の前半テンポの遅さを改善するために前半旅行を大胆カット圧縮しています。現代化に必要な対応ですが、寄り道的なワクワク描写(海上月見や食事)や恐怖の追い込み(大イカのテント破壊等)を削ったせいか感情の上下幅が小さくなり、必要イベントが淡々と進む印象があります。後半の鬼岩城周りもどこかあっさりしています。
今作はバギーが単なる情報を超えた「気分」を学ぶ事も重要なのでエモーショナル要素も必然性を込めつつ残して欲しい…とも思うけど尺問題もあるから複雑です。
作品テーマは「合理性に収まらない心」だけど作品バランスは合理化で心の揺さぶりが薄くなったのは中々皮肉です。
ポセイドンの立ち位置の半端感、絶望感の不十分さ。
バギーの新解釈が上手い一方で、ポセイドンはイマイチという感想です。
海底火山=敵襲という誤解を解く余地が無い存在として、理解を受け付けず命令通り動く冷徹な存在に徹底した方が筋が通ります。しかし今作では女性データ収集したり、ドラえもんの存在や友達について問答するなど関心のような行動を見せます。その割にはしずかちゃん(女性データ)の主張を聞く気がなかったり、友達に関する問答も論戦として決着するわけでは無く物理的な決着で有耶無耶になりうまく機能していません。対話の余地を少しでも感じさせると特攻の必然性を落とす事になるので、無理解の徹底は崩して欲しくなかったです。
女性データ云々は、原作ポセイドンの非科学的行動(しずかを生贄にする)を機械的な理由に変更したのだと思いますが、そのせいで上記の問題が発生してこれは裏目に出た改変だと思います。
また最終決戦の戦況描写も万策尽きた感が薄く、特攻もやむを得ないという必然性を出しきれていなかったように感じます。ポセイドンの退場もあっさりしてて、演出的な盛り上がりや余韻がもう少し欲しかったです(とは言え、特攻ではボロ泣きしたんですけどね)。
トリライン全般
新規キャラ、ムー連邦の生き残りトリラインは全カットでもいいと思います。
各種逆算から生まれたキャラと思われますが、どれもあまり上手いとは思えません。
しずかちゃんが生け捕りになる理由作り
しずかの囮作戦に説得力を持たせたかったのだと思うのですが、殺されなかった理由が女性データ収集ってなんだかなーだし、わざわざ作る程の理由にはなってないです。
バリアの抜け道
過去に脱出できた理由を作るためだけど、今度は侵入に使おうという展開は結局落盤で意味が無くなり原作通りの地中突破になりました。これは無意味な尺でした。
ムー連邦の硬直的な考えを正すきっかけ
原作ではムー連邦は古い法律に従い死刑判決を変えないが、鬼岩城活動再開でそれどころではなくなり有耶無耶にドラ達を許し共闘関係になる展開でした。これを修正したかったのでしょうが上層部を考え直させる決定打が「過去に無視した報告者の話を聞く」はピンと来なかったです。
この尺を他に当てていれば作品はもっと充実しただろうという感じはあります。
テーマ「合理と心」主役側は上手いだけに、対立存在が惜しい。
「正解(合理的な判断)」と「正しい(心に従う)」)の主題はバギーとエルの内的な成長物語として筋が通っていて上手く出来ていました。
ただそれを際立たせるために重要な、対立する存在がどちらもブレている感じです。
人間の心を理解するバギーの対極として、ポセイドンは理解を一切受け付けない存在(硬直した合理の象徴)として原作通り構えてくれればよかったのですが、半端にデータ収集や問答する設定を加えたせいで、単に物分かりの悪い存在のようになってしまいました。
エルの対極は古い法律に縛られる上層部ですが、のび太達の死刑判決に関しての論戦(硬直した合理と戦う部分)ではエルは勝てず、その後のトリラインを信じるか否かで上層部を動かしますが、その文脈は「恐ろしい現実から目を背け続けるか、今できる事に目を向けるか」であって、合理と心の論点からズレていると感じます。例えば「何が起きてもアトランチスに触れてはならないという古い法律がある」とかであれば、古い法律より状況に合った判断をという感じにできたのではと思えます。
最終決戦の道具セレクト
最終決戦に別働隊を設定してムー連邦の総力戦にしたのは良かったですしエルの武器も格好良かったのですが、レギュラーチームの道具装備が小ネタに振りすぎている感じが緊張感を削いでいました。人類の命運をかけた状況なので全力を尽くしている感が欲しいですが、スネ夫の初期装備が「無生物しきぼう」で作中説明無しの不親切さとか、のび太が戦いながら「人さがしがさ」を持っている絵的な緊張感の無さとかです。初期装備は王道の強そうな装備で、戦況中盤の武器不足感として小ネタ出す感じなら良かったんですが(なのでジャイアンの中盤のブラックベルトは丁度良かったです)。
2回目の方がより楽しめた。
2回劇場で見ましたが、1回目は事前の予告(問答するポセイドン、バギーとのび太の交流、明るい主題歌など)から結末を変えてくるかもしれないという覚悟で見たので、一体どう決着するのかと気持ちの持ち方がブレてしまいましたが、結末を知った上で挑んだ2回目は、結論に向かうまでのバギーちゃんの丁寧な心の移り変わりを感じ取れたのでより楽しめました。
まとめ
原作(旧映画版)は傑作ですが、当時にはマッチしていた時代背景(核や冷戦)、ゆったりしたテンポ、古い人工知能観が現代では通じないので色々変える必要がある作品です。そんな中で今作は多くの修正パッチで原作の穴を埋め、現代的なテンポにして、主人公サイド(バギー、エル)の主題は現代再解釈として上手く描けているので間違いなく面白い作品としては仕上がっており、総論満足です。
一方で「合理を超えた心」がテーマの物語でありながら、作品の進行は合理的すぎて感情の起伏や爆発は薄いという皮肉なパラドックスを感じます。メイン視聴者の子供に残るフックが弱いという感じです。
トリライン削って、情緒的な盛り上げ増して、ポセイドンとムー上層部の融通の効かなさ強調して磨き上げたなら、作品内容的にも作品進行的にも合理を超越した心震えるよりすごい作品になっていたのでは…という惜しさも感じます。
とはいえ、結末を変えずに現代的にアップデートしてバギーの物語を一本作り上げるという方向性にこういう正解もあったのだなという感じで、よくぞ作ってくれたと言う感想です。


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