耳付きドラえもんを「黄色」に決めたのは誰か。作者?アシ?意外と謎が残る

「ドラえもんは製造直後は黄色だった」は有名な話ですが、その色を考えた人は誰でしょうか。「そりゃ作者の藤子・F・不二雄じゃないの?」と思いきや確定的ではないのです。少し詳しい人なら「元アシスタントの方倉陽二」と言うかもしれませんが、そうでもなさそうで。意外と謎の多い件について調査してみました。

まずは結論

まずこの記事の結論ですが「はっきりしない」です。ですが候補は3者存在し、3者の誰が濃厚なのか。その辺を調べてみました。

黄色いドラえもんが登場するまでに、3ステップある。

この「製造時のドラは黄色い」という設定は、いきなり生まれたものではなく3段階を経て誕生しました。ざっくり説明します。

0.設定が無い時期(1969:F先生)
第1話はいつもの姿(青くて耳なし)でいきなり登場。特に製造時の設定はありませんでした。
1.耳があった設定だけ登場(1975:F先生)
「実は製造時には耳があったが、ネズミにかじられて耳を失った」と作者によって設定される。でも変色する設定は無く色は製造時から青色だったという初期設定。
2.昔の色は違ったという設定が追加(1978:方倉陽二)
元アシ(方倉)の描く半公式漫画で「製造時は青くなかったが、耳を失った事で青ざめた」という設定が追加。でも元の色が何かは触れられず
3.その色が黄色に決定(1979:誰?)
2のエピソードのアニメ化時にカラー映像が作られ、色が黄色と判明する。

つまり、「昔は耳があった」「その頃は色が違った」「その色は黄色だった」という感じで、設定がどんどん継ぎ足されて黄色設定が生まれたわけです。なので「原作に直接的に黄色いドラが登場した」みたいな単純な話ではないわけです。

黄色に決めた時期はほぼ確定(1979年後半)正月アニメ検討時。コロコロ表紙も無視できない情報。

黄色いドラえもんの公式デビューは、1980/1/2のTVアニメです(ドラえもん びっくり全百科)。しかしそれより前のコロコロコミック1980年1月号(1979年12月上旬発売)に予告としてアニメの絵を載せた特集ページが組まれて、そこが初登場です。

1980年1月2日、大事件が起きる!
なんと、むかしのドラえもんがテレビに初登場するのだ。もちろん耳もあるし、身体の色は…そう、黄色なのだ!

引用元:コロコロコミック1980年新年号「お正月TVアニメドラえもん大公開」

ここでは黄色い耳ドラ(アニメの絵)がカラーで掲載され、「身体の色は黄色なのだ!」と色を新情報のように紹介しています。12月上旬以前に正月アニメ用の絵はもうできていたという事ですので、黄色に決めたのはそれより前のアニメ打ち合わせの場という事になります。

なお翌月のコロコロ1980年2月号(1月上旬発売)にも再度この正月アニメを振り返る特集ページが組まれています。その号の表紙にはF先生直筆の耳付き黄ドラの1枚絵も登場。それまではアニメ設定としての黄色しか登場してませんでしたが、F先生の絵で初めて登場します。線画しか描いていない1とはいえF先生の自筆に出版側が色をつけた物ですので、F先生が黄色について認識していた可能性を伺わせる情報です。

可能性のある3者

候補となる3者ですが
1.原作者:藤子・F・不二雄
2.元アシスタント:方倉陽二
3.アニメスタッフ(個人名不明)
です。

候補1:藤子・F・不二雄

原作者です。主人公キャラの重要設定ですから決定者であってもおかしくはありません。本人が塗ってないとはいえ翌月のコロコロ表紙に自筆の黄ドラが載っているくらいですし、関わってなかったらこうはならないのではと思わせる情報は揃っています。しかしそれを否定するような発言も残っています。黄色になった事を「後から知った」と言っています。

そう秘密作りばかりもやっていられない。アシスタントのKくんにもかなり手伝ってもらいました。ネコ型だったのに耳をネズミにかじられた、というのは僕が決めたこと。黄色だったのがその時青くなったというのはKくんの思い付き。作者の僕があとから知って驚いた秘密もずいぶんあります。

引用元:映画2112年ドラえもん誕生 (てんとう虫コミックスアニメ版) 藤子・F・不二雄 あとがき

いくつか記憶違いっぽい所もあるので文面通り信じてはいけない所もあるのですが、言い方が「耳をかじられた所までは僕(F先生)が決めた。それ以外は別」という感じで話しているので、F先生の中で「僕は黄色に決めた人ではない」と線引きをしているようにも聞こえ、F先生は黄色決定者ではないという解釈もできます。

候補2:方倉陽二(元アシ)

方倉陽二は藤子スタジオの元チーフアシスタントで、「ドラえもんが青ざめた」という設定を生み出した人です。ただし「元の色が何なのか」については白黒漫画では触れられていません。黄色初登場の正月アニメは確かに方倉先生の描いた青ざめエピソードのアニメ化ですが、アニメ打ち合わせにF先生ではなく方倉先生に決定の伺いをするだろうか…と考えると可能性は遠いと思っています。(この頃は方倉先生は独立した漫画家で、(頻繁に顔出しているとは言え)藤子スタジオにはいないので方倉氏に連絡取るというのはF先生とは別の職場に連絡するという意味になります)
一応、先のF先生のインタビューには「黄色にしたのは方倉君」と言う発言はあったりします。↓

アシスタントのKくんにもかなり手伝ってもらいました。ネコ型だったのに耳をネズミにかじられた、というのは僕が決めたこと。黄色だったのがその時青くなったというのはKくんの思い付き。作者の僕があとから知って驚いた秘密もずいぶんあります。

引用元:映画2112年ドラえもん誕生 (てんとう虫コミックスアニメ版) 藤子・F・不二雄 あとがき

ただこのインタビューは1995年で、15~17年前の記憶を話している状態です。
超多忙だったF先生が当時の記憶を詳細に覚えているとは限らず(そもそも後から知った事が多いくらいだし)「青ざめた設定は方倉くんが作った」という説明をする際の言葉のアヤで「黄色が青く」と言ってしまっただけ、またはインタビューでいちいち「でも実は黄色の部分だけは別の人で…」みたいな細かい説明をしても仕方ないからザックリ説明した、という感じがして、これを根拠に「黄色と決めたのは方倉先生!」と言うには弱いと思っています。

候補3:アニメスタッフ(具体的な個人名不明)

根拠となるような情報は何も無いのですが、F先生も方倉先生も関わってないと仮定したら、アニメスタッフの裁量で決めたと考えるしかないという消去法的な説です。実際、当該アニメ「びっくり全百科」は特定の漫画エピソードを忠実にアニメ化したものではなく、誕生時のスペックや現代に来たくだりはF先生の漫画原作を使い、青ざめた設定は方倉漫画から使い、そして製造時は性格が生意気だったというアニメ独自設定を足したりという感じで色々継ぎ合わされてます。なので全てを作者に確認取ってる感じは無く自由に作った感じがあり、黄色もそのようにアニメスタッフ側で決めたという可能性はありそうです。

それぞれの説 比較まとめ。

それぞれの説について長短をまとめてみました。

結局核心に迫るような情報までは調べられず想像の範囲にしかならないのですが、方倉先生案は低そうで、

仮説

1.F案:耳ドラの色を決めるアニメ打合せにF先生も参加(担当者が伺いに来た等も含む)し黄色に決定。当然それに準じてコロコロ表紙も黄色に色指定。

3.アニメスタッフ案:アニメ打合せにはF先生参加せずスタッフで独自に黄色設定。コロコロ表紙はF先生は線画のみ提出して出版側で色付けているのでF先生は黄色に未関与。

という可能性を残す。という感じなのかと思います。まあ普通に考えるとF先生を完全無視はしないのでは…と考えられるので、1なのかなとも思われますが、引き続き調査は続けたいです。(詳しい方何か情報あれば教えて下さい)

ただ「耳あったがかじられた(F先生)」「耳を無くして青ざめた(方倉)」「アニメ化に際し色を明確にする必要ができた」と言うパスがあってこその黄色設定ですので、皆があってこそ生まれたと言う事はできると思います。

注釈

  1. ※コロコロ表紙用のドラえもんの絵は、基本的には藤子・F・不二雄はマジックペンで線画だけ描き、着色は雑誌編集側が担当したという体制で作られている事が明かされています。1980年2号の雑誌も恐らくそれに準じていると思われます。未着色原画を見たことないので「絶対にF先生が塗っていない!」とは言い切れないですが、まあよほどF先生は線だけで、着色は別の人だと思われます。 ↩︎

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